本心<314>

2020年7月30日 07時00分

第九章 本心

 初めてイフィーと会った日、彼のリアル・アバターとして散歩に来たのも、この日比谷公園だった。
 イフィーも僕も、あの頃は、孤独だった。僕たちは機械で繋(つな)がり合ったのではなかった。体を介して、一体化したのでもない。恐らくは、心で。――僕の大好きなイフィー。僕が憧れた、才能溢(あふ)れる歳下(としした)の友人。<あの時、もし跳べたなら>という、叶(かな)わぬ夢とともに生きている一人の青年。
 それから僕は、向かいの空席を見つめながら、三好との最初の出会いを回想した。
 コロンボに実在する瀟洒(しょうしゃ)なホテルを模した仮想空間だった。無人のプールサイドで、椰子(やし)の木がゆったりと揺れていた。その片隅のテーブル席に、彼女は少し遅れて、猫の姿で現れたのだった。
 あの時は、そのアバターをデザインしたのが、イフィーだとは知らなかった。彼がやがて僕を通じて三好を知り、愛するようになることも、三好が、一ファンとしての感情に彼への愛を見出(みいだ)すようになることも。――三好にとって、イフィーを愛することは、人間をまた愛することに他ならなかった。それは彼女が、自分自身の人生を愛し直すための一歩だった。彼女を愛する僕が、そのことを喜べないはずがなかった。狭い家での同居を終えた今こそ、僕は葛藤から解放されて、自分がどれほど彼女を愛していたかを認めることが出来た。
 僕はそれからしばらく、ただ虚(うつ)ろな目で木々の揺れを見ていた。そのうちに、胸に膨らみかけた痛みは、行き場もなく、ゆっくりと底に沈んでいったようだった。
 それにしても、現在を生きながら、同時に過去を生きることは、どうしてこれほど甘美なのだろうか。僕が、<母>を不要と感じるようになったのも、それが却(かえ)って、母の記憶を生きることを邪魔していたからかもしれない。
 記憶の中の僕は、もう失われてしまっていて、二度と生きることが出来ない。だからこれほど、懐かしいのだろうか。――それは、単純な嘘(うそ)ではないだろうか? 懊悩(おうのう)や苦痛の経験を、ただもう失われてしまったからといって、僕は惜しむだろうか?
(平野啓一郎・作、菅実花・画)
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※7月26日付紙面掲載

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