追悼・山本寛斎さん 私の東京物語(上) 三軒茶屋から北極へ

2020年7月27日 22時06分
 21日に亡くなったファッションデザイナーの山本寛斎さんを偲び、昨年5月に本紙「TOKYO発」面に連載したエッセー「私の東京物語」をWeb公開します。「KANSAI YAMAMOTO」ブランド創設50周年の節目を迎えた山本さんが、自分の人生をどのようにデザインしてきたのか。その一端を語ってくれました。(聞き手・榎本哲也)

◆北極圏でひらめき

自宅から三軒茶屋の事務所まで片道5キロを歩いて出勤、体を鍛えて北極に挑んだ

 2019年3月8日から10日間、北極圏へ行ってきました。ファッションデザイナーがなぜ?と思うかもしれませんが、18年2月、日本唯一の北極冒険家、荻田泰永さんとの出会いがきっかけでした。
 私の中でファッションとは、単に着るものだけではなく、自分の生き方そのもの、毎日のすべてを演出するのがファッションだと考えているんです。何か、新しい価値観のようなものに出会いたいと思っていた。荻田さんと対話を重ねるうちに、その思いが強くなり、北極圏にあるカナダの人口1500人ほどの集落、ケンブリッジ・ベイを訪れました。
 2月は最高気温でもマイナス20度以下。6枚重ね着しても外にいられるのはせいぜい2時間。まつげが凍ってしまう。少しでも遠くへ行く時には、ホテルとの距離を見ながら行かないと、帰れなくなってしまう。一面の銀世界、何もない極寒の地。こういう所にいると、いま何をしようか、どうすれば楽しく過ごせるかと、考えるんですよ。うどんのCMを北極でつくろうか、50歳以上限定の北極ツアー旅行をプロデュースしようか…。さまざまなインスピレーションが生まれました。世田谷の三軒茶屋にある事務所に戻って、構想を練っています。

◆上大岡の別れ

私は男3人兄弟の長男でして、父は、テーラーをしていました。

7歳の筆者(左)と母、弟たち。母と別れる前日、上大岡の写真館で撮った(山本寛斎事務所提供)

 この写真は私が7歳のころ、横浜の上大岡の写真館で撮ったそうです。幸せそうではない、不安げな顔ですよね。両親が離婚しまして。息子3人は父に引き取られて高知へ行くことになり、母と離ればなれになる、まさにその前日に撮ったんですよ。27歳だった母が、それ以来ずっと、大切に持っていた写真です。
 それから私が大学に入って上京した時に、母の実家を訪ねたんですが、この写真すら持っていなかった私からしたら、瞼(まぶた)の母ですよ。顔すらはっきり覚えていない。戸をガラガラと開けたら、それらしい女性が出てきた。母は、まさか来ると思っていなかった、どうしちゃったのという感じでしたね。
 いずれ息子たちと再会できると信じ、再婚は避けていたそうです。生計を立てるため、実家の空きスペースに洋裁教室を作って、近所のお嬢さんたちに教えていたんですね。当時ですと花嫁修業として洋裁を習う女性は多かったそうです。
 東京の大学に通っていた私は、その後、時々、上大岡の母を訪ねました。もらったお小遣いで、横浜の駅ビルの店などで、黒のベルベットのスーツなんかを買っていました。まだファッションの仕事をしようとは思っていませんでしたが、そういう服を選ぶくらい、こだわりがあったんでしょうね。アルバイトもしていましたが、お金はほとんど服代につぎ込んでいました。

◆デザイナーを志す

 大学時代のアルバイトは、麹町にあった日本テレビのフロアアシスタント。今で言うADですね。時給はぜんぶ服代につぎ込みました。JUN、VAN…。ファッションへの興味が強かった。自分の進むべき道を感じていたんでしょうね。
 ある日、横浜の上大岡にある母の洋裁教室を訪ねた時、教室にあった「装苑」という雑誌を何げなく見ていました。「装苑賞」という、日本最大級のファッションコンテストが載っていまして。受賞者のデザイナーが国鉄(現JR)で山手線の切符切りだった、と。そうか、デザインの学校へ行かなくても力があればデザイナーになれるんだ。ならば私もなれる。進むべき道が分かった。そのために、まずはこの装苑賞をとろうと。
 21歳の9月1日、大学に退学届を出して、ある方の紹介で、すでに19歳で装苑賞を受賞して、デザイナーとして活躍されていたコシノジュンコ先生に弟子入りしました。お針子として働きながら、毎月、装苑賞に応募しました。
 ジュンコ先生のアトリエに、地下鉄で通っていました。六本木駅を降りると、向かい側のホームで電車を待つ高田賢三さんをたびたび見かけました。ジュンコ先生と文化服装学院の同級生で、やはり装苑賞を受賞され、のちにファッションブランド「KENZO」を創設された方です。えらくしびれたのは、ポロシャツの上にネクタイを締めていたんですね。そういう概念は当時なかった。デザイナーってのはかっこいいなあと思いました。

やまもと・かんさい 1944年横浜市生まれ。74~92年、パリ・ニューヨーク・東京コレクションに参加、世界的ファッションデザイナーの地位を築く。現在はその枠を超え、ライブイベントのプロデューサーとして国内外で活躍中。

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