真実くみ取られた 82歳原告団長万感 「黒い雨」訴訟

2020年7月30日 06時00分

「黒い雨」訴訟で全面勝訴し、報告集会で万歳する(左から)訴訟を支援する会の高東征二事務局長、高野正明原告団長ら

 油っぽくぎらぎらと光る水滴を浴びたあの日から75年、病に苦しんできた人たちの証言が勝訴をもたらした。被爆者差別を恐れながらも沈黙を破り「真実はこうだ」と訴え続けてきた「黒い雨」訴訟。広島地裁は29日、全員の請求を認めた。歴史的判決に拍手が響いたが、提訴からの5年間で高齢化は着実に進んだ。「死んだ人もたくさんいる」。原告からは、控訴せず救済するよう行政側に求める声が上がった。

◆7歳の時、下校中に「びしょぬれに」

 全員勝訴の判決言い渡しが終わり、広島市内で29日午後に開かれた集会に臨んだ、原告団長の高野正明さん(82)。長い闘争の辛苦を吹き飛ばすような力強い声で語った。「英断をしてくれた裁判所に、心から感謝したい」
 爆心地から約20キロ離れた現在の広島市佐伯区湯来町に住んでいた7歳の時、学校で朝礼中に突然強烈な閃光が窓から入ってきた。下校途中に黒い雨を浴び「土砂降りの中でびしょぬれになった」。当時の記憶は鮮明に覚えている。

「黒い雨」訴訟の全面勝訴を受け、記者会見する原告団長の高野正明さん=いずれも29日、広島市で

 油っぽくぎらぎらと光る水滴は畑で育てていた作物にも付着し、飲み水に使っていた川にも流れ込んだ。
 雨を浴びた日から家族全員が下痢や発熱を発症。母親は胃がんにより50代で亡くなった。近所の人も、若くして亡くなることが多かった。
 「原爆が原因だということはみんな分かっていた。でも、そのことを話せば差別されるから黙っていた」。長い間苦悩を隠しながら生きていたが、被害を訴えるようになったのは、1987年に気象学者の増田善信氏が集会で「降雨地域は国の認定より広かった」と語ったのがきっかけ。「雨が降った後に川の魚が死んで浮いていた」。増田氏の調査に、住民たちはせきを切ったように口を開き始めた。高野さんも沈黙を破り自らの体験を話した。

◆「自分たちで動くしかない」

 その後、「広島県『黒い雨』原爆被害者の会連絡協議会」の地元支部に参加。95年には同連絡協の2代目会長に就任した。
 運動に協力してくれる地元議員がほとんどおらず「自分たちで動くしかない」と必死になった。県内各地を回り、証言を集め、署名活動をした。毎回5000~6000人分の署名を携え、東京まで何度も陳情に。しかし、国は「科学的・合理的根拠がない」として取り合ってくれなかった。
 時には無言電話などの嫌がらせを受けることもあった。それでも、心は折れなかった。「真実を後世に伝えたい」。当事者たちが高齢化していく中で2015年から始めた裁判は、いちるの望みをかけた闘いだった。
 「裁判所は、しっかりと真実をくみ取ってくれた」。判決後、表情は安堵に満ちていた。
(共同)

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