<新・笑門来福 桂雀々>芸の一助に「運動」

2020年7月31日 07時56分

1998年、北海道・サロマ湖100キロマラソンに出場!37歳の僕、軽やかな足取り?でしょ

 うれしいことに「らくご卓球クラブ」の会場が再開しました。今まで改修工事で閉まっていた会場が新規オープン。もうワクワクです。
 らくご卓球クラブの面々は、リーダーが三遊亭小遊三兄さん。僕に山田たかお(「笑点」では隆夫)さん、でんでんさんに福澤朗さんなどなど、個性豊かです。練習はもういたって真面目。一球入魂で卓球台に向かい、汗が飛び散る中、ハァハァと息が切れるまでプレーする疲労感は快感そのもの。もちろん、その後のビールはうまい。これぞスポーツの醍醐味(だいごみ)です。
 こう見えて、僕は意外と運動が好きで、一九九二年から一時マラソンにはまっていました。皮切りはハワイのホノルルマラソンです。初めてのフルマラソンとあって実は少々不安。そこでラジオやテレビで「五時間半切れなかったら僕は桂雀々の名前を使いません!」といきがって宣言してしまったこともあり、とにかく負けるわけにはいきません。毎日十キロ近くは走って走っての猛練習の日々。
 そして当日。まだ陽(ひ)が明けきれぬ暁闇(ぎょうあん)のカメハメハ大王像のスタート地点は、興奮する参加者でにぎわっていました。僕は高揚感と緊張感でとにかく夢中でハイウエーを走り続け見事にゴール! 結果は五時間二十六分一秒。やった! まだ桂雀々の名前が使えると安堵(あんど)した覚えがあります。
 それから三年後のマウイマラソン、北海道のサロマ湖の百キロマラソンと順調に走り続けてきたわけですが、最後にはふくらはぎが悲鳴をあげ、僕の意思とは関係なく勝手にドクドク動く脚のさまを見て、ああ、もう限界だなと、これまた勝手に終止符を打ったわけです。
 運動不足からか、単純に中年になったからか、今ではすっかりオジサン体形が定着し、腹周りも随分大きくなりました。さすがにこれはまずいのではと、このコロナ禍の暇な時間、多少は歩くことにしたのです。
 以前のように軽やかに脚が動くわけではないですが、やっぱり風を受け前に進むのは気分がいい。そうそう近所のジムも再開し、息子ほどの年のマッチョなトレーナーは、ヒーヒーわめく僕を遠慮なくしごきます。落語家は年を取っても声が掛かれば、どこへでも行かなくてはいけません。そのフットワークを維持するため、地味だけど中年のおっちゃんは今日も精いっぱい頑張っているわけです。あ〜、しんど。

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