<ふくしまの10年・雪が落とした災い>(4)車内で線量計振り切れ

2020年7月31日 08時11分

村内各地の放射線量を測定する今中哲二助教(当時)=2011年3月29日、飯舘村で(豊田直巳さん提供)

 東京電力福島第一原発による放射能汚染は、飯舘村のどこにどれくらい広がっているのか−。二〇一一年三月二十八日夕、それを調べるため京大原子炉実験所(現・複合原子力科学研究所)の今中哲二助教(69)=当時=を代表とする調査団が村に到着した。
 今中さんら五人は早速、村が用意したワンボックスカーに乗り込み、一時間ほど村内を走って下調べをした。
 「正直なところびっくりした。汚染のひどい場所があると分かっていたが、どこを走っても高線量。局地的にホットスポットがあるのかと思っていたが、まるで違った」。今中さんはこう振り返った。
 翌日午前は北部の九十二地点、午後は南部の三十八地点で放射線量を測定した。北部は毎時一・五〜七・七マイクロシーベルト。事故前は〇・〇五マイクロシーベルト前後だから、非常に高い線量だ。午後、浪江町の山側に近い村南部の蕨平や比曽地区に入ると、線量は急上昇した。一〇マイクロシーベルトを超える状況になってきた。
 そして、現在も許可なく入れない帰還困難区域となっている長泥地区に入ると、車内でも線量計(最大二〇マイクロシーベルト)が振り切れた。
 「これを持ってきてよかった。専門家なのに測れないなんて恥ずかしいから」。今中さんは、そう思いつつ高線量域の得意な別の線量計を取り出して車を降りた。
 「長泥字曲田(まがた)」の道路標識近くの畑で測ると調査で最大値の三〇マイクロシーベルトだった。九年以上たった現在も三・六マイクロシーベルトある。

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