失われた情景 何億もの命の音が消えていた

2020年8月2日 07時20分

沖合に浮かぶ帆掛けの打瀬船やベカ舟。手前には天びんを担いだ女性の姿も=1959年、千葉市美浜区で(林辰雄氏撮影、県立中央博物館所蔵)

 埋め立てされた広大な草原のような先にいままで見たことのないような海岸がひろがっていて、ぼくたちはみんな思いがけなく感動し、しばらく黙りこんでしまった。
 いつも波うち際にアブクとともに浮遊しているものがまったくなく、生まれたばかりのような海岸だった。
 それほど大きくはないが押し寄せてくる波は幾重にも続き、ずっと沖の水平線まではっきり見えた。ベカ舟も大きな帆掛けの打瀬船(うたせぶね)の姿もまったくなかった。海と空と雲だけがぼくたちの目の前にあった。
 ぼくたちは海に入っていった。寄せる波は冷たく、こういうところに必ずいるニナ貝やシオフキなどがその海岸では足裏にまったく触れないのが不思議な感覚だった。
 注意して見ていくと磯ガニさえ一匹も目にはいらなかった。きれいだけれど命の気配のまったくない海になっていたのだった。
 さらに沖にすすんでいくとすぐに深くなっていった。潜っていくとまだ陸から二十メートルぐらいしか進んでいないのにもう背の立たない深さになっていった。そんなことになっているとは誰も予想していなかったので水中メガネを持ってきている奴(やつ)は誰もいなかった。だからイソギンチャクの住処(すみか)で、砂地の底の巣である小穴もまるでみあたらなかった。海はきれいだけれどぼくたちにはあまり面白くなくなっていた。
 三十分ぐらい泳いで砂浜に戻ってきた。そんなとき慌てて逃げる稚児蟹(ちごがに)の姿もまるでない。埋め立てによって作られた海岸には生命の気配がまるでなかった。
 ぼくたちは乾いている砂浜にあおむけに寝ころがって雲と太陽を眺め、「なんだか知らない海になっちまったなあ」などとみんなで悲しくなっていた。
 ぼくは埋め立てされる前の海の情景を思いだしていた。海岸から海に入っていくときは海岸にびっしり寄せ集まり堆積したアオサなどの腐ったところを二十センチぐらいズブズブ潜って三十メートルぐらい歩いていかなければならなかった。腐敗臭があちこちからわきあがった。ぼくたちは慣れていたからかまわずに進んでいたが、東京あたりから来た観光客は汚い、キモチワルイと言って入っていくのをためらっているのをよく見た。だからそういう腐敗海苔(のり)にズボズボもぐらずに海水のあるところまでいけるように海の家が沢山(たくさん)たてられていたのだ。
 以前の砂の海に出ると一センチぐらいのチビガニがぶくぶく泡を吹いている音が大きく海全体に広がっていて、走っていくとそのチビガニたちが一斉に逃げる。あまりの数の多さに地面が揺れ目が回りそうだった。
 海は何億という命に満ちた音でひろがっていた。今のこの広大な埋め立て地は幕張の海に生きていたそういう小さな命をそっくり生き埋めにしてしまったのだ、ということにぼくはそのとき初めて気がついたのだった。 (作家)

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