<家族のこと話そう> 夫との10年 成長の糧に 写真家・植本一子さん

2020年8月2日 07時49分
 小学六年の長女と小学四年の次女と三人暮らしです。二十四歳で結婚した二十四歳年上の夫(ミュージシャンのECD(イーシーディー)さん=本名・石田義則)は、二年前にがんで亡くなっています。五十七歳でした。
 夫は子どもに怒ったりしないし、頼めば何でもやってくれるし、子煩悩でいい人でした。ただ仕事で不在の時間も長く、子どもが小さい時は一人で世話をすることが多くて大変でした。
 次女が生まれたばかりの頃は、このままだとまいってしまうな、うつになるな、と感じていました。覚えているのは雨の日の真っ暗い部屋で、ぐったりしていた私と娘たち。産後で体もつらく、気持ちが落ち込んでいました。これはまずい、と区の相談窓口に電話したら、保育ママを始める人がいて長女を預かってもらえることになりました。助かった、と思いました。
 それまで好きな仕事をして自由に生きてきたのに、出産後は自分の時間が圧倒的になくなり、つらかった。いつ子どもが熱を出しても対応できるよう、シッター会社に一時保育と、何重にも預け先を確保するなど常に綱渡り状態でした。
 育児をうまくできていない気がして苦しく、夫に話しても思う通りに受け取ってもらえない時期が続きました。今思えば純粋な気持ちからではなかったと分かりますが、他に好きな人ができ、夫に「離婚したい」と伝えたことがあります。夫には「好きな人がいるのは構わないけど、離婚しても何も変わらないよ」と冷静に指摘されました。
 問題は自分の内面にあるのに、「離婚したら何か変わるはず」と家庭の外側に逃げようとしているのを、夫には見透かされていたんですね。この人にはかなわないな、と感じました。
 二〇一六年に夫の病気が判明してからは、いろんな人にシッターを頼みました。私が出張の時は泊まり込みで来てもらったり、預けたり。子どもたちは誰か知らない人が家の中にいること、家族ではない他人と一緒に過ごすことに慣れています。
 夜遅くまで作業することもあり、朝ご飯を作れないので、娘二人は自分で用意するように。ほかのお母さんとは違うと感じているようですが、「お母さんって最高だよね」と肯定してくれます。
 夫が離婚に応じず一緒にいてくれたから、私は家族から逃げずに多くの経験をしてここまで来られた。自分の成長に夫は必要不可欠な存在でしたし、結局手のひらで転がされていたようにも思います。
 今、自分が安定しているのは、夫との十年があったからだと感じています。
 
<うえもと・いちこ> 1984年、広島県生まれ。2003年、キヤノン写真新世紀で荒木経惟氏より優秀賞を受賞。13年、東京・下北沢で自然光を使った写真館「天然スタジオ」をスタート。広告、雑誌、CDジャケットなどを手がける。昨年、家族の10年の歩みを初写真集「うれしい生活」(河出書房新社)にまとめた。著書に「降伏の記録」(同)、「かなわない」(タバブックス)など。
聞き手・今川綾音/写真・木口慎子

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