核兵器廃絶への道

2020年8月3日 06時59分
 広島、長崎に原爆が投下されてから七十五年。核軍縮を目指し、さまざまな条約が作られ、国際交渉が行われてきた。しかし、人類を破滅に導く核兵器は今なお、地球上に存在する。核なき世界へ。道は険しいかもしれないが、人類の未来に向けて続いている。

<核兵器に関する条約>1970年発効の核拡散防止条約(NPT)は米国、ロシアなど5カ国以外の核兵器保有を禁止。核軍縮が目的だが不公平との批判も。96年採択の包括的核実験禁止条約(CTBT)は批准国が足りず未発効。日本は批准国。2017年7月採択の核兵器禁止条約は核兵器の開発、実験、製造など広範に禁止。核兵器全廃を目指す。50カ国・地域の批准で発効する。7月27日現在の批准は40。

◆条約への不参加、残念 物理学者、広島原爆被爆者 沢田昭二さん

 広島に原爆が投下された時、私は中学二年生でした。その日は体調を崩し、市内の自宅で眠っていました。閃光(せんこう)も爆音も知りません。気が付くと、壊れた家の下敷きになっていました。何とかはい出すと、外は真っ暗闇。少しずつ明るくなって見えてきた広島の街は、家がつぶれて平らになっていました。
 一体、何が起こったのか? 米国の原爆開発のことは知っていましたが、目の前の光景と結び付きませんでした。
 ふと、足元から母の声が聞こえました。柱か梁(はり)に挟まれて動けない。必死で助け出そうとしましたが、全く動きません。原爆の熱線でついた火が広がり、家が燃え始めました。「早く逃げなさい。生き残って、しっかり勉強して立派な人間になりなさい」。母の最後の言葉です。
 広島大で物理を学んでいた一九五四年三月、米国がビキニ環礁で水爆実験をしました。広島の千倍の破壊力がある爆弾。物理学が、こんなものを造り出した。仲間の学生もショックを受けていました。物理学が人類を絶滅させる道具になる。そんなことは許せない。原水爆禁止広島学生協議会をつくり、私は代表に就きました。原水爆禁止運動を始めたきっかけです。
 米国は、朝鮮戦争でも原爆の使用を検討しました。しかし、トルーマン大統領は英国のアトリー首相の説得で思いとどまった。背景にあるのは五〇年に発表されたストックホルム・アピールです。核兵器の禁止を求めて世界中から五億人の署名が集まりました。アトリーは「原爆を使えば、世界の世論によって米国は孤立する」と言ったのです。このアピールは歴史的な役割を果たしました。
 国連で三年前に核兵器禁止条約が採択され、発効に向けて進んでいます。核兵器保有国は加わっていませんが、条約が発効すれば、核兵器廃絶の世論も高まるでしょう。日本が参加していないのは非常に残念です。安倍晋三首相をはじめ政府関係者は「唯一の被爆国として」という言葉をよく使います。ならばそういう行動を取ってほしい。いつまで米国の核兵器にしがみつくのでしょうか。
 世界では、物事は武力では解決できないという考え方が主流になっています。間もなく被爆から七十五年の原爆の日が来ます。核兵器のない平和な世界を展望する大事な時期を迎えています。 (聞き手・越智俊至)

<さわだ・しょうじ> 1931年、広島県生まれ。名古屋大名誉教授。専門は素粒子論。原水爆禁止日本協議会代表理事。日本における内部被ばく研究の第一人者で、原爆症認定集団訴訟にも取り組む。

◆赦しと和解で平和に ローマ・カトリック枢機卿 前田万葉さん

 世界は今、核の脅威や地球環境の危機など予断を許しません。被爆七十五年の今年、日本カトリック司教団は平和メッセージを六月二十三日に出しました。同じ戦争で惨禍に遭った沖縄の慰霊の日に合わせたものです。そこに込めたのは非暴力、非武器、非核の思いです。兵器や核で武装するのではなく、人間の信頼関係、赦(ゆる)しと和解に希望を持って努力してこそ、平和が保たれると信じるからです。
 昨年十一月、フランシスコ教皇が訪日し、広島と長崎でメッセージを出しました。そこでは核兵器は使用だけでなく、「保有自体が倫理に反する」と訴えました。今年のうちに、核兵器禁止条約を五十カ国・地域が批准して、発効してほしい。保有すら禁じられれば、核抑止や核による均衡はできなくなります。軍備拡張競争や戦争は、貴重な資源の無駄遣いです。その資金は、地球環境や貧困問題に役立てるべきです。広島や長崎の教会は七月、「核なき世界基金」を立ち上げ、資金面で核廃絶に向けた活動を支援します。
 世界には、核抑止政策を是認する司教団もありました。でも、教皇の姿勢や被爆地での訴えにより、核保有国の米国のほか、核抑止政策を支持していたドイツやカナダの司教団がその態度を改めました。核廃絶に向けた動きは確実に起きています。
 しかし、世界の政治に具体的な前進がないのも確かです。
 教皇は被爆地で、核兵器禁止条約を含む国際的な法的手段を支持する考えを表明し、首相官邸で会った安倍晋三首相にもその考えを伝えました。その会談に私も同席していましたが、首相は核保有国と非保有国の「橋渡し役」を主張して条約には触れないままで、すれ違いに終わりました。われわれは昨年十二月にも、日本政府に条約への署名・批准を要請していますが、明確な返答はありません。米国の「核の傘」に守られるという政策は変えたくないのでしょう。残念でなりません。
 私自身も長崎被爆二世です。亡き母が被爆して約四年後に私が生まれました。母は被爆体験をほとんど語りませんでしたが、足がぱんぱんに腫れるなどよく病気をしました。私が広島で司教をしたのは、そんな母を持つ私を神様が導いたのだと思いました。これからも枢機卿という立場で信仰だけでなく、核廃絶や平和の実現を訴えていきます。 (聞き手・関口克己)

<まえだ・まんよう> 1949年、長崎県生まれ。福岡のサン・スルピス大神学院卒。広島教区司教を経て、大阪教区大司教。2018年にローマ・カトリック教会で教皇に次ぐ高位聖職者の枢機卿に就任。

◆世界の課題も関心を 関東学院大教授 奥田博子さん 

 アルファベットで表記される「ヒロシマ/ナガサキ」は、広島と長崎の被爆が人類史上の分岐点であることを意味します。ホロコーストを象徴する「アウシュビッツ」のように、「ヒロシマ/ナガサキ」も「人間であるがゆえの恥辱」を強く実感させる出来事として普遍化できると、私は考えています。
 しかし残念なことに、核兵器廃絶を求める広島と長崎の声が世界に届いているかというと、十分に行き届いているとは思えません。それは、「ヒロシマ/ナガサキ」が、悲劇的な惨事という一国的な表象のもと、ナショナルな枠組みを超える記憶にはなっていないからでしょう。
 「ヒロシマ/ナガサキ」は、「唯一の被爆国」という肯定的なナショナリズムに回収されてしまっています。「被爆という艱難(かんなん)辛苦を乗り越えて、奇跡の経済成長を果たした日本」という物語。外に対して加害国、内に対しては被害国として振る舞うダブルスタンダードはアジアの中では通用しません。
 世界に開かれた「ヒロシマ/ナガサキ」の思想とは何か。それは、核/原子力と人類は共存できないということ。核(兵器)と原子力(発電)は同じものです。日本では「核」は軍事利用、「原子力」は平和利用と分離して捉えられていますが、同じ「核(爆発・融合)」をめぐる技術として、科学技術の開発への問題提起として思想化することができるのではないでしょうか。
 現実的な問題として、核を本当に廃絶できるかどうかは私たち一人一人に問われています。歴史を顧みれば、人間が一度手に入れた核(原爆=原発)を手放すことはあり得ないでしょう。しかし、理想と現実の相克を、「核なき世界」という未来へのビジョンを捨て去ることによって解決しようとすることは愚かなことではないでしょうか。
 では、何をすべきか。広島や長崎を訪れる人びとは同情(シンパシー)を抱いてくれますが、その同情は共感(エンパシー)にまで至りません。そのためには、私たち自身が異なる他者を理解するための行為や態度を示す必要があります。気候変動やブラック・ライブズ・マター(黒人の命の大切さも認めろ)といった地球規模の課題に対して協働して向き合ってゆくことで「ヒロシマ/ナガサキ」を普遍化することができると考えます。 (聞き手・大森雅弥)

<おくだ・ひろこ> 東京都生まれ。専門はコミュニケーション学。著書に『原爆の記憶』『沖縄の記憶』『被爆者はなぜ待てないか』、訳書に『1989』(いずれも慶応義塾大学出版会)ほか。


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