はらだ有彩 東京23話 大田区 「大師の杵」

2020年8月12日 12時00分

古典の人情噺を現代版にリブートする話題作。イラストやテキスタイルデザインも手がける多彩な作家、はらだ有彩さんが、古典の人情噺を元に、現代版としてリブートする話題の新感覚ショートショート。 東京23区を舞台に繰り広げられる人情噺を、軽やかなタッチで描き下ろします。


もよ子は毎朝ベランダで朝食を摂る。椅子とテーブルを置くほど広くはないので、室外機の上にマグカップを載せ、手すりに凭(もた)れてパンを齧(かじ)る。ベランダの鍵を開けながら、キッチンと窓の隙間を住処にしたロボット掃除機のスイッチを、行儀悪く足で踏んでいくのが日課だ。
多摩川に面した古いマンションからは河川敷を走る人たちが見える。今年38歳だからこの部屋に越してもう7年だ。もよ子は鵜の木での暮らしを気に入っていた。駅前の商店街で買った大根を鍋で煮ているとき、静かで安全な駐輪場に自転車を停めるとき、夕方、ピクニックの帰り支度をする学生や会社の同期らしき集団が、川を渡る電車を眺めてふと黄昏る様子を見かけるとき、眠気のような幸福を感じる。
火曜日の夜だけは、もよ子は決まって微かな憂鬱に包まれた。
明日は工場へ出勤する日だ。勤めている医療機器メーカーは品川に本社を構えていたが、開発チームの中堅となって久しい、どころかそろそろ重鎮と呼ばれる年季に片足を突っ込んでいるもよ子は、毎週水曜日に工場へ顔を出さなければならなかった。
現場の人々はみな善人で、右も左も分からない頃から何かともよ子の世話を焼いてくれた。それでも厳格なルーティンの中で培われた結束は固く、もう充分すぎるほど見知ったはずのもよ子が来ると、誰もが宇宙人に遭遇したように一斉に振り返った。彼らにとってもよ子はいつまでも部外者だ。今よりもっと若かった頃、「本社の人間が知ったような口を挟むな」と上司に苦情が入って以来、一挙手一投足に注意深くなった。
注意深くなったし、確かに憂鬱ではあったが、もよ子は深刻に思い詰めていたわけではない。大人になると、遣る瀬ない気分を抱えたままでも結構普通に暮らせてしまう。世界の構造が分かってしまったからかもしれない。理解し終えた構造はこぢんまり見えるものだ。
——私はきっと、こうやって生きて、こうやって死に向かっていくのだろう。
その予感がもよ子にとっての世界の構造である。きっとあと10年ちょっとくらいは鵜の木に留まって、両親の住む神奈川へ移る。実家は古い持ち家だから、多分、私にとっても終の棲家になるだろう。必要になる金額も大体想像がつく。先の選択肢が何となく把握できて、肩透かしをくらったような、ほっとしたような、穏やかな人生の水平線をもよ子に見せていた。先が見えているなんてつまらない人生だ、という人もいるだろうと時々もよ子は想像する。そういう人は、凪いだ幸せを愛する人間が案外多くいることを知らないのだろう。
水曜日は、電車ではなく自転車に乗る。週に一度しかない機会のために、もよ子は多摩川を挟んだ神奈川側に建つ工場へアクセスしやすい部屋を探した。20分の自転車通勤は夏にはつらいが、遠い最寄り駅からタクシーに乗って門の前に乗りつけることに比べると、自転車は人々の心を溶かすのに大いに役立ってくれた。それに河川敷を下ってガス橋を通り抜けるのは悪くない心地だった。
工場の敷地内には、社員全員の定位置が暗黙の了解で決められている食堂がある。役員たちが前方に座り、その後ろに役職ごとにスタッフが続く。一時的に出社した者や来客は後方のフリースペースを割り当てられ、通りがかりに物珍し気な視線を投げかけられる。
しかしその日は誰も、もよ子の存在を気にしていなかった。人々は全員、もよ子よりもひとつ後ろの、最後尾のテーブルに注目していた。
そこには10人ほどの見慣れない若者が座っていた。タイ工場で現地採用された新入社員、つまり、タイ人の研修生だ。今年から語学と業務を学ぶために1年ずつローテーションを組んで日本に滞在する制度ができたらしいと、先月の社内報で読んだ。
アルミのトレーに温かいスープと焼き魚、米、漬物を載せ、もよ子はいつもの席に座る。研修生たちは肩を寄せ合い、落ち着かない様子でテーブルについていた。その中に、一人だけ食べるのが遅い男の子がいる。
現場の人たちは皆時間に厳しいので、食事を終えると休憩時間をめいっぱい享受するために早々と食堂を出ていった。さっきの男の子はまだのろのろと口に箸を運んでいる。デスクを持たないもよ子が食べ終わったテーブルを借りて事務作業を済ませているうちに、広々とした食堂は彼ともよ子の2人きりになっていた。
書類を留める輪ゴムを拝借しようと、カウンターへ向かう。ちらちらと見られることをあれほど嫌っていたもよ子は、しかし彼の横を通り抜けるとき、残された食事に目を滑らせてしまった。我に返ってすぐに視線を戻そうとしたが、焼き魚がほとんど残されているのが気になり、思わず立ち止まる。
「味付け、口に合わないですか?」
男の子は驚かずに、もよ子をじっと見つめた。愛嬌のある黒い眼が不思議そうに瞬く。戸惑っているというより、友好な態度を示して、捕まえ損ねた言葉を問いかけるような仕草だった。
「ごはん、美味しくなかった?」
複雑な単語を言い換え、再度聞き直す。今度は彼の顔に閃いた表情が浮かんだ。
「はい、少し苦手です」
タイ工場の殆どの社員から日本語のメールが届くため、この男の子が自分の言語に合わせてくれることをもよ子は知っていた。口に含む空気の量が自分とは少し異なるような、丸い印象の発音だった。うん、うん、そうですよね、ともよ子はなるべく大きな動きで相槌を打つ。

「……でも、ケチャップがあれば食べられると思います」
男の子は困ったように微笑んだ。食堂を利用するのは今日で二度目だという。3日前に社員寮に到着し、荷物を解いて手続きを済ませ、昨日の夜初めて社屋の見学に来た。夜シフトのスタッフに混ざって初めて食堂の定食を食べ、帰りに工場の前のコンビニを探してみたが、ケチャップは売っていなかったそうだ。
「日曜日に、社員さんが少し遠いスーパーマーケットへ連れて行ってくれます」
もよ子は今日の定時後なら暇だから、スーパーへ案内しましょうか、と言いかけてやめた。この子とだけ、それも敷地内で待ち合わせなどすれば、不用意に目立つのは火を見るよりも明らかだった。もよ子は昔から、とにかく目立つことが苦手だ。
しかしあと3日も慣れない料理を食べ続けるのは気の毒である。
「私、家に新しいケチャップがあるから、あなたにあげますよ。明日もここに座る?」
明日ここに入れておきますね、とテーブルの下に備え付けられた棚をつついて男の子に示す。携帯や財布を忘れる人が続出したせいで「忘れ物注意!」の黄色いテプラが装飾のように貼りつけられた、通称「魔の棚」。家に帰ってすぐ引き返し、忘れ物をしたと言えば食堂の鍵を開けてもらえるだろう。
もよ子の提案に男の子は眉を上げて喜び、それから慌てて、ビアと名乗った。
「ビア?」
「私のニックネームです。お酒のBeer。子供の時から、お酒の名前です」
ジョッキを煽るジェスチャーをしながら、ビアははにかんで笑った。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「あ、源川さん、主任が探してたよ」
すっかり梅雨が明けたある日、もよ子が喫煙所から戻って靴を履き替えていると、開け放した機械室のドアから一人の女性が顔を出した。橋野というベテラン社員で、確か去年、勤続30年を表彰されていたはずだ。「主任」とは橋野の上司で、昔もよ子への苦情を本社に訴えた張本人である。今は随分打ち解けてくれた。
礼を言おうとしてドアに近づくと、橋野の後ろにビアたちが並んでいるのが見えた。各部門を見学して回っているらしい。全員に会釈する動作の中で、ビアと一瞬、目が合う。ビアは下瞼だけを持ち上げたウインクのような人懐こい挨拶をもよ子に送った。
「ほら、今日、ここ、こんなんでバタバタしてるから。早めに行っといてね」
橋野は大げさな動作で口に手を添え、声をひそめてみせる。早い口語やスラングが分からない研修生たちは、そんな橋野に戸惑いながら、曖昧な表情で何とか理解できる単語を探そうとしていた。
「やっぱり教えながらだとヤヤコシイわあ……言葉の壁があると、理解できることってどうしても限られるよねえ。日本の子、採用してくれたら、現場の負担も減るのに」
……それはあんたの喋り方の問題だろ、ともよ子は思った。しかし、どうしても口に出せなかった。
橋野はあらゆる設定ミスを見逃さない、非常に頼れる人材ではあったが、教育にはあまり向いていないようだった。今日に限らず、いつでも自分の知識を前提として話す。本人は不親切である自覚がないので、大抵は物分かりの悪い新人が不出来だということになるのをもよ子は何度も見た。橋野がなるべく複雑でない言葉を選んで説明するとは思えない。厳密な余談、ちょっとした愚痴、自虐交じりの独りボケツッコミ、仲間内でしか通じない略語で構成された橋野の話は、外国から来た青年たちを大いに困惑させていた。
(言ったら絶対、めちゃくちゃ面倒なことになるだろうな)
たまにしか来ない人間がしたり顔で苦言を呈した、と受け取られればどうなるか、もよ子はこの10数年で嫌というほど経験してきた。それに、今日集まっている研修生はほとんどが男性だ。女が喫煙所に出入りしているだけで珍しがられる環境で彼らを擁護することは、もよ子にとってリスキーだった。
それでも橋野に同意することは憚られ、何とか自分を下げる雰囲気を作るよう心がけながら、もよ子は笑ってみる。
「でも、母国語じゃない言葉を使って働くなんてすごいですよね。ほら、私、英語の成績超悪かったから、絶対無理。学校で習ったこと、メイビーしか覚えてない、ははは…」
メイビーにややウケた橋野は、気分を害することなく話をやめてくれた。
昼休み、また食堂に残って作業をしていると、ビアが遠くを眺めるふりをしながら机を指で叩いて見せた。もよ子が「魔の棚」に手を入れると、天板の裏に1枚の付箋が貼りついている。
付箋には蛍光ペンで、「もよこさん ありがとう」と書かれていた。
それ以来、週に一度、食堂で紙を交わすのがもよ子とビアの習慣になった。文章はだんだん長くなり、いつの間にか付箋はA4の紙に変わった。
「私は携帯電話を持っていません。タイの家族とは、寮のPCを使ってSkypeで話します」
「先週、〇〇さんに観光に連れて行ってもらいました。寺に行きました。タイの寺を思い出した」
「もっと東京へ遊びに行きたいけど、毎週遊ぶとお金がなくなるので困る」
「今度、もよ子さんと食事したいです。Beerと一緒にBeerを飲みましょう」
「同じ部屋のbankは、夏休みにタイへ帰ります。少しお金がもったいないです」
盆休みに手紙をやりとりできないことをつまらなく思い、もよ子は家の地図を書いて魔の棚に入れておいた。
——休みの間、何か困ったことがあれば、ここに来てください。
連休初日、ビアはコンビニの袋を提げてもよ子の部屋に遊びに来た。ビニール袋には冷たいビールが入っていた。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
1年は驚くほど短い。
フライデー・ナイトだというのに、もよ子は品川のオフィスで残業に追われていた。きっと今頃行きつけの飲み屋では、研修生たちの送別会が盛大に開かれていることだろう。
幹事は橋野が張り切って請け負ってくれた。橋野は悪い人間ではなく、そして別に良い人間でもない。「週一」のよしみでもよ子にも参加を募る回覧板が回ってきたが、水曜日の欄には「×」が多く、多数決で日時は決まった。品川から駆けつけるには、定時後すぐに始まる飲み会は早すぎた。
1年は驚くほど短いが、目を閉じている間に過ぎ去るわけではない。
多摩川の部屋に越してきたばかりの31歳のもよ子と、38歳のもよ子との間に大きな断絶があるように見えたとしても、1年の次に2年、2年の次に3年があって、6年の次に7年があっただけだ。それを繰り返しているうちにゆっくりと人生が終わっていくいみじい積み重ねは、慈しんでもいいことのように思えた。
だからこの1年が片手間に、迂闊に流れていったのではないことをもよ子は知っている。
ビアとは結局、遠出らしい遠出をほとんどしなかった。会社の貸し出している自転車に乗って、いつもビアがもよ子の部屋に来た。もよ子の部屋のベランダに立って、ビアはよく川を眺めていた。
一度だけ、もよ子も自転車を出して、大森の方まで海を見に行ったことがある。もよ子が書いた地図を頼りに、海に着くまでの道中で集合するという、何とも面倒な道行だった。寮まで迎えに行けばよかったのに、会社の前で待ち合わせして噂になることを思うとどうしてもできなかった。

港に向かって開かれた公園の空に、羽田空港からの発着便が作る飛行機雲がいくつも見える。あの中にバンコク行きはあるだろうか、ともよ子が目を細めていると、ビアがごく小さな声で「もよ子さんと結婚したいですね」と呟くのが聞こえた。もよ子は返事をしなかった。ビアも同じことを二度言わなかった。バンコク行きかどうかなんて、いくら目を凝らしても分かるはずはなかった。
オフィスのキーボードを派手に鳴らしながら、お開きになりかけている宴会に駆けつけて顰蹙(ひんしゅく)を買うところを3回繰り返して想像した。イメージの中の居酒屋で、参加者全員に注目され笑われることはそれほど苦ではないような気がしたが、仕事は終わらなかった。今なら、今夜なら、どこでだって待ち合わせできそうなのに。
深夜に帰宅すると、ドアに付箋が貼られていた。
「もよ子さん 本当は、ケチャップがなくても、私は日本の料理を食べられました ありがとう Beer」
それきりだった。
1年は驚くほど短いので、すぐに次の研修生が10人、タイからやってきた。当然その中に見覚えのある顔はない。何回も水曜日を繰り返した夏の日、突然、橋野が気さくに言った。
「ねえ、そういえば、ビア君、子供生まれたんだって」
「……えっ、若いのにすごいですね」
「若い?」
「え、だって、まだ20代前半くらいじゃ……」
「ああ、去年来てたビア君じゃなくて、アジア営業の方のビア君。会ったことない? こっちにも時々来るよ。結構おじさんだったはずだけど、第1子だって」
「ビアさんって、2人いるんですか?」
「そうそう、知らなかった? 若い方が入ってきたとき、ニックネームが被ってるなんて困るって、結構揉めてたじゃない」
社歴が長い橋野は、自分より後に入社した者は例え役員であっても「君」とかわいらしく呼びたがる。
そこで初めて、もよ子はビアの本名を知らないことに気づいた。ビアの、というかタイ人の社員の本名は、ほとんどの人間が知らない。彼が仕事を変えれば、きっともう二度と会えないだろう。

もよ子は毎朝ベランダで朝食を摂る。椅子とテーブルを置くほど広くはないので、室外機の上にマグカップを載せ、手すりに凭れてパンを齧る。多摩川に面した古いマンションからは河川敷が見える。
川の遥か上、空想の飛行機に乗ってもよ子は飛ぶ。
機内の丸い窓から見下ろす街の中、自分の部屋が米粒のように小さく見える。六郷川が東京湾にとうとうと流れ込む。
海。
埠頭。
コンテナ。
入り江の先は、柔らかい雲のような空白に霞んでいた。もよ子は今も静かな生活を愛している。つまらなくも不幸でもない。この1年で変わったことと言えば、水平線は本物の線ではなく、どこまでも広がる面の端が見えているだけだと気づいたことくらいだ。世界は少しもこぢんまりしていないと分かってしまったことくらいだ。
休日の朝は、コーヒーの代わりに時々缶ビールを開ける。350ml缶に注がれたBeerは、Beerの小さな嘘を書いた付箋が貼られた冷蔵庫の中で、穏やかに冷えている。

覚え書き・《大師の杵》
空海上人(大師)の若いころのエピソードだと言われている『大師の杵』。神奈川県のとある有力者・源左衛門の娘「おもよ」は、家に滞在し布教を行っていた大師に思いを寄せる。父源左衛門が仲を取り持とうとするが大師には修行中であることを理由に断られてしまう。事実を言い出せない父は娘に夜這いをけしかけ、おもよは思い切って大師の部屋へ。しかしそこには大師はおらず、布団の中には餅つき用の杵がひとつ横たわっていた。これは「思いを断ち切れ(杵)」というメッセージだろうか。それとも「(餅のように)ついて来い」という意味? 分からないまま多摩川の六郷土手まで追いかけるが、大師が2時間も前にここを去ったと聞かされ、絶望したおもよは川に身を投げて死んでしまう。噂を聞いて戻ってきた大師は「おもよ堂」を建てて弔った。それが今の川崎大師の始まりだという——
 
噺家さんによっては「おもよのアプローチに困った大師が、おもよを宥める時間稼ぎのために部屋へ呼び、その間に杵を置いて去った」というバージョンもあります。どちらにしても大師は不思議な嘘のような、曖昧なメッセージのような名残だけを置いて去っていったのです。
ある日突然おもよの世界に現れた大師は、彼女の世界を大きく変えました。落語の中のおもよは亡くなってしまったけれど、変わった世界の中で、変わった部分と変わっていない部分と生きていく女性を想像してみました。


はらだ有彩

関西出身。テキスト、テキスタイル、イラストレーションを作るテキストレーター。2014年から、テキストとイラストレーションをテキスタイルにして身につけるブランド《mon.you.moyo》を開始。2018年5月、日本の民話に登場する女の子の心情に寄り添う本『日本のヤバい女の子』(柏書房)刊行。「wezzy」「リノスタ」などウェブメディア、『文藝』『東京人』『装苑』など雑誌への寄稿。
◆はらだ有彩公式サイト:https://arisaharada.com/
◆Twitter :@hurry1116
◆Instagram :@arisa_harada

書籍化された これまでの「東京23話」


加藤千恵の東京23話
幻冬舎文庫「この街でわたしたちは」



松田青子の東京23話
河出書房新社「東京 しるしのある風景」



山内マリコの東京23話
ポプラ社「東京23話」

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