《東京近郊 気まぐれ電鉄》さよなら「としまえん」こんにちわ「トキワ荘」

2020年8月12日 12時00分

<今回利用したルート>
《西武池袋線・豊島線》  池袋―豊島園
《都営大江戸線》 練馬春日町―落合南長崎

閉園間近の「としまえん」を目指し出発


 池袋駅の西武線の改札口に集合した。西武デパートの玄関横の乗り場の感じは僕の若い頃とあまり変わっていない。朝の9時過ぎ、右端のホームに窓の広い新型の秩父特急が停まっているが、今回ここから乗るのは左端のホームから出る豊島園行の各駅停車。近頃の西武池袋線は3、4種のカラーリングの電車が走っているようだが、この豊島園行きの車両は銀色に青や緑の模様がスタイリッシュにちりばめられている。

今回もマスクを着けての取材。

 ご存知の読者も多いかと思うが、長年親しまれた「としまえん」(遊園地自体は最近“ひらがな”が正式のようなので)が8月をもって閉園してしまう、というのでやってきた。スタッフの多くは大江戸線を使う方が便利なのだが、やはりここは昭和の遠足気分の西武池袋線でアプローチしたい。ちなみに、練馬の先で分かれて豊島園へ向かう短い単線の区間は“西武豊島線”と名づけられている。

豊島線の終点となる豊島園駅のホーム。三角形のユニークな形。

 そんな豊島線が枝分かれする二又のところは、ひと昔前まで畑と雑木林のような感じでローカル線風情があったものだが、いまは本線が高架線になって、また周囲も宅地に埋めつくされて往時の面影はない。しかし、逆三角形に広がる豊島園駅のホームは僕の少年時代の記憶と同じだ( としまえん跡地にハリーポッターのテーマパークができるらしいが、するとこの豊島線もやがてホグワーツ線などと呼ばれるようになるのかもしれない)。

大正時代に開園し戦後に遊園地になった豊島園


 ビルやシネコンが建っているけれど、かつてこの一画に池袋や新宿、さらに新橋の方まで行く路線バスが何台も出入りするバスターミナルがあったはずだ。
 さて、ここに豊島園が開園したのは大正末の15年。いまの西武鉄道の前身・武蔵野鉄道が初めから関わっていた…と思っていたのだが、当初は藤田好三郎という実業家が別荘風の屋敷を建てるために作った庭園だったという。この藤田という人物、千駄木にある安田楠雄邸(屋敷と庭)を設計して安田氏の前に住んでいた建築好きの趣味人だったというから、開園当初の豊島園は、武蔵野の自然環境をいかした日本庭園を楽しむような渋い景勝地だったのだろう。豊島の名は、敷地内に存在した戦国武将・豊島氏の城跡にちなんだもので、昭和2年に開通した武蔵野鉄道の駅名も、初めはただの「豊島」だった。
 遊具を呼びものにした子供やファミリー向けの遊園地になるのは戦後のことで、僕が物心つく昭和井30年代中頃は東京西部を代表する娯楽施設になっていた。

森の中にあるモダンな洋館は昆虫館。

 幼稚園児の頃に観ていた記憶がぼんやりながら残る子供向けのアクションドラマ「まぼろし探偵」に、豊島園のシーンがある。もちろん、後にDVDを入手して知ったことだが、主人公の少年新聞記者(実は「まぼろし探偵」)ススム君が、ドジな相棒・黒星十郎と豊島園の取材にやってきた折、ニセ札作りの一味と遭遇する…なんていう話。
 昭和でいうと34年か35年頃のロケと思われるが、当時看板のアトラクションだったウォーターシュート(スベリ台を下ってきたボートが勢い良く池に着水した瞬間、舟頭の男がぴょこんと飛びはねる)の光景も記録されている。
 ウォーターシュートが設置されていた大きな池(古地図で確認すると開園時からの池)はもはや埋め立てられて存在しないが、所々に聳えるヒマラヤスギの高木などはかなり古くに植えられたものだろう。そもそもドイツのアンティーク品を輸入した回転木馬・カルーセルエルドラルドはともかく、フライングパイレーツやハイドロポリスなども、もはや古典の趣が感じられる。そして、豊島園というと幼き日の僕がまず初めに行ったのは昆虫館。乗りものアトラクションだけでなく、ここの昆虫館は充実していた。
 僕が足繁く通っていた昭和40年代前半と少し場所は変わったようだが、アメリカ開拓時代の鉄道(模型列車)線路脇の木立ちの中に建つ、いまの昆虫館(昭和48年築)も年季が感じられる。モルフォチョウやトリバネアゲハをレイアウトした美しい蝶の標本、子供に大人気のヘラクレスオオカブト、外国原産のクワガタを手でつまめるコーナーもあるが、そこに使われているクヌギの古木は園内に繁っているものらしい。僕と同年代の地元育ちの館長さんと“思い出の虫採り話”などをちょっとやりとりしてから、石神井川の南側の「流れるプール」の方へ向かった。記念乗車券やコンサート券を整理をした僕のストックブックの中に、“昭和47年”の表示が記された「流れるプール」の半券が1枚ある。

約50年前(!)の、流れるプールの半兼。

 プールサイドに<dippin’ dots>というドイツのアイスクリームのブースが出ているが、なかむら画伯は昔、この売店でバイトをしていたことがあるらしい。
 プールの正門に近い方に見える、廃虚のコンクリートミキサーみたいな佇まいをしたハイドロポリスのあたりに、豊島氏の居城は置かれていたそうだが、碑や謂れ書き1つない。

としまえんの閉園を惜しみながら食べたステーキ。

 園内のレストランでアンガス牛のステーキ定食(そういえば、以前ズーラシアでもコレを食べた。テーマパーク系の定番メニューなのか?)をランチに食べて、午後は「トキワ荘ミュージアム」を見学するプランなのだが、その前にもう1ゕ所、この辺の歴史名所に立ち寄っていこう。

練馬大根と深いつながりのある愛染院。

 園内を流れていた石神井川の中之橋を渡って、豊島園通りを北方へ進む。農協前のバス停を過ぎて、クランクした通りをちょっと行くと練馬春日町の交差点に差しかかる。広い新道が旧道を消すようにタテヨコにできあがって、ふと方向感覚を失うようなポイントになってしまったが、北東方の昔の富士街道の向こうに愛染院という寺がある。

練馬大根の碑は高さ数メートルある立派なもの。

 この参道の入り口に建立されているのが、練馬大根の碑。春日や高松のあたりは主に戦前、練馬大根の生産がとりわけ盛んだった地域なのだ。愛染院の墓地にも墓石が目につく「鹿島(鹿嶋)」という地主さんが生育に尽力したと聞く。漬物に向いた大根で、富士街道を少し西の方へ行ったところに「宮本食品」というタクアンの樽を看板にした老舗がある。ちなみに、愛染院境内の梵鐘の台座にボコボコと不成形の石が埋めこまれているが、これは付近の漬物業者から寄贈されたタクアン石なのだという。

豊島区の新名所トキワ荘マンガミュージアム


トキワ荘マンガミュージアムは、昭和のマンガのワンシーンを思わせるたたずまい。

 練馬春日町から大江戸線に乗ると、トキワ荘マンガミュージアムの最寄り駅、落合南長崎まで1本で行ける。手塚治虫を皮切りに、寺田ヒロオ、藤子不二雄Ⓐ、藤子・F・不二雄、石ノ森章太郎…人気マンガ家が駆け出しの頃に暮らしたアパート「トキワ荘」(地図上は“常盤荘”)と漢字表記が多い)については、以前この連載で池袋から中野へ行くバス旅の途中、跡地を訪ね歩いた。あのとき、近くの公園に建設予定だった、原寸に近いトキワ荘の再現施設が完成、この夏オープンしたのだ。
 そのときにも書いたが、この辺は僕の実家から数百メートルの御近所。落合南長崎の駅を出て、目白通りの向こう側の横道にわが実家の門前をチラ見しつつ、南長崎花咲公園の一角に誕生したトキワ荘マンガミュージアムへやってきた。

ミュージアムの二階には若き日の住人たちの生活が再現されている。

 初見したのはもう少し前なのだが、一見して完成度の高い再現物件である。材質は鉄筋コンクリート製というが、外壁にも薄いピンクのモルタル調のプレートがていねいにコーティングされて、まさに昔の木造モルタルアパートに見える。玄関先に<トキワ荘>と筆書きされた四角柱型のトタン看板が置かれ、住人のマンガ家たちがよく利用したという、旧型の電話ボックスまで再現されている。入り口の沓脱くつぬぎには昔のゲタ箱、ぎしぎしと音が鳴る仕掛けの木階段を上っていくと、ちゃんと畳を仕込んだ四畳半の居室が廊下づたいに並んでいる。住んでいたマンガ家の仕事道具や資料本が置かれた部屋もあり、窓越しに見えたと思しき往年の景色が描かれている。
 残っていた写真(主に1982年の解体時に撮られた)を拠り所に再現作業がされたというが、これは思っていた以上にクオリティーの高いミュージアムである。1階部に展示された“トキワ荘の時代”のマンガ雑誌やソノシート、歴史年表…を眺めるだけでも時間が過ぎていく。

ミュージアムにはマンガや研究本なども展示されている。

 実際のトキワ荘は、北側の近年「トキワ荘通り」と名付けられた旧道(清戸道)商店街を200メートルかそこら目白方向へ行った横道にあった。この道、いまは練馬方面からの一方通行だが、昭和30年代当時は双方向の通りで、豊島園へ行く都バスが走っていたから、それに乗って豊島園のプールや昆虫館に遊びに出かけたマンガ家さんもいたかもしれない。

PROFILE

◇泉麻人(コラムニスト)
1956年東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストとして活動。東京に関する著作を多く著わす。近著に『夏の迷い子』(中央公論新社)、『大東京23区散歩』(講談社)、『東京 いつもの喫茶店』(平凡社)、『1964 前の東京オリンピックのころを回想してみた。』(三賢社)、『冗談音楽の怪人・三木鶏郎』(新潮新書)、『東京いつもの喫茶店』(平凡社)などがある。




◇なかむらるみ(イラストレーター)
1980年東京都新宿区生まれ。武蔵野美術大学デザイン情報学科卒。著書に『おじさん図鑑』(小学館)、『おじさん追跡日記』(文藝春秋)がある。
https://tsumamu.tumblr.com/

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