<戦後75年>戦禍を記録、生々しく 「自分史」つづる体験者ら

2020年8月5日 07時20分

自分史に旧満州での戦争体験をつづった岡田雅子さん=長野市内で

 戦争体験者が減り続ける中、戦禍の記憶や思いを「自分史」として家族らに書き残す人たちがいる。思い出したくないと語ってこなかったが、残された時間を意識する中で、自分の言葉で記録に残そうと決意。読んだ家族は、身内の言葉で知る具体的な戦争の姿に、不戦への思いを新たにしている。 (細川暁子)
 「初めて見たソ連兵は、青い目、高い鼻、金色の髪の毛の大男で、吠(ほ)えるような恐ろしい声で『ダワイ、ダワイ(〜しろ、〜をよこせの意味)』と叫びながら銃を振りまわし、お金とか時計など手当たり次第取り上げました」
 長野市の岡田雅子さん(82)が、五年前に自費出版した自分史の一節だ。
 中国東北部の旧満州で生まれ、八歳のときにソ連侵攻を経験。父は連行され、母と兄、双子の姉の四人で逃げた。襲われないよう顔を墨で塗り、丸刈りにしていたこと、足が血だらけになっても歩き続けたこと、引き揚げ船で、母乳が出ずに赤ちゃんに唾液を与えていた女性の姿…。飢えや死と隣り合わせの経験を生々しくつづった。
 シベリアに抑留され、生死不明だった父は一九五〇年に帰国。だが、父が語ったのはカザフスタン方面に連行されたことや、強制労働で穴を掘っていたことなどごくわずか。家族が触れられない話題になった。
 岡田さんも「高度成長期に日本中が前を向く中、不幸な戦争の話を人にしても意味はない」と、旧満州での体験を子どもたちにも語ってこなかった。
 転機は十年前。すでに父は亡くなり、家の整理をしていた時、母から「これは捨てないで」と風呂敷包みを渡された。中には、旧満州での写真や手紙のほか、父が抑留されていた場所や強制労働の内容を書き記した地図などが入っていた。半世紀以上大切に保管していた父や母の思いに触れ、「家族の歴史を残すべきだと思った」という。
 その後、母も他界。「もっと戦争のことを聞いておけばよかった」と悔やみ、子どもたちに伝えておこうと自分史の作成を決意。自分史を書く講座に通いながら、兄にも寄稿を頼み、四年ほどかけて仕上げた。
 自分史は自分と兄、三人の子ども用に計五部を作成。講座の発表会で子どもや孫の前で体験を話した。当時、小学四年生だった孫は「戦争が怖いと思った」「戦争や家族のことについて少し考えるようになった」などと感想を伝えてくれた。岡田さんは「両親の代弁、供養だと思って書いた」と話す。

自分史に戦争体験を書いた小池さちみさん(左)と編集を担当した細川順子さん=長野市内で

 同市の小池さちみさん(96)も戦争体験を自分史に残した一人。高齢で亡くなる人が周囲で増え、自身も目が悪くなり「今のうちに」と二〇〇八年に自費出版し、子どもや孫に贈った。
 戦時中、国民学校の教師だった小池さんは出征する男性教師の無事を祈って千人針を贈り、子どもたちに「日本は勝つ」と教え続けた。「結果は多くの命が失われた。その無念さを伝えたかった」
 二十年前から同市で自分史作成の講座を主宰し、二人の自費出版も手伝った細川順子さん(68)によると、かかわった約七十人の多くが戦争体験を残すことを希望。〇八年からは毎年終戦記念日に、戦争体験を聞く会も開いてきたが、今年は新型コロナの影響で中止となった。
 細川さんは「家族の言葉でつづられたり、語られたりした言葉で伝えられることで、歴史の中の出来事を自分ごととしてとらえられるきっかけになる。今こそ、自分史で戦争体験を書き残してほしい」と願う。

◆不戦の思い次世代へ 証言集出版30年以上 孫による代弁も


 戦争体験者から聞いた話を、戦後世代の子どもや孫らが記録として残そうという動きも出てきている。

祖母の戦争体験を「孫たちへの証言」に寄稿した望月知未さん。祖父が残した自分史を参考に書いた(望月さん提供)

 「私の祖母ケイコの肩には、喉元にかけて日本刀で斬られた深い痕がありました」-。静岡市の望月知未(ともみ)さん(38)は旧満州で起きた開拓団員の集団自決から生き延びた祖母の故・杉本啓子さん=享年八十=に生前聞いた体験を文章にまとめ、昨年、戦争体験などを集めた「孫たちへの証言 第三十二集」に寄稿。啓子さんは四年前に亡くなったが、幼いころから同居していた望月さんに話した体験は壮絶だった。
 啓子さんは四歳のときに満蒙(まんもう)開拓団の一員として旧満州へ。だが、ソ連軍侵攻で啓子さんと弟は父母らと生き別れ、他の団員たちと集団自決に追い込まれた。当時九歳。団員の男性が後ろから日本刀で斬りつけていき、啓子さんと弟も黒い布で目隠しして手を握り合い、最期の瞬間を待った。
 「弟はずっと『お姉ちゃん怖いよ』と言っていた」。啓子さんは涙をこらえ望月さんに語っていた。弟は亡くなり、啓子さんも斬られたが、一命をとりとめ中国人に助けられた。
 望月さんには、小学五年生の長男(10)と幼稚園の次男(5つ)の二人の子どもがいる。「おばあちゃんは、こんな小さな時に、悲惨な目に遭ったんだ」。啓子さんが他界した後も、戦時中の啓子さんの年齢に子どもたちが近づくにつれ、姿を重ねて涙が出るようになった。「戦争の怖さや愚かさを自分が代弁しなければと感じるようになった」
 望月さんが昨年、寄稿文をまとめた際、参考になったのが、三年前に亡くなった祖父の幸雄さんが残した自分史だ。青少年義勇軍として旧満州に渡り、現地で生き残った啓子さんと結婚。「はだしの大地」と題された自分史には、幸雄さんが当時啓子さんから聞いていた体験が記され、望月さんが聞いた話の裏付けとなった。望月さんは「自分史は次世代に歴史をつなぐ貴重な資料。受け継いでいけば、亡くなった人の思いも消えない」と言う。
      ◇
 「孫たちへの証言」は、大阪市内の出版社「新風書房」が一九八八年から毎年八月に出版。代表の福山琢磨さん(86)が「庶民が経験した戦争を祖父母の世代が孫たちに伝える」ことを方針に全国から原稿を募り編集。一日に発行された第三十三集を含めると、応募総数は約二万五百三十編に上り、事実関係などがしっかりした二千六百九編を掲載してきた。一冊に約八十編を掲載する。
 今年の応募者の平均年齢は八三・八歳。応募数は最多だった九五年の千二百編から年々減り、今年は二百数十編に。四年前から望月さんのように家族や知人らが伝え聞いた話をつづる「伝承編」も加えた。
 編集時に福山さんが力を入れているのができるだけ具体的で、正確な記録を残すこと。筆者には人名や地名、学校名などは固有名詞で書くよう助言する。体験者が軍人や軍属だった場合、参考になるのが「軍歴証明書」だ。召集から除隊までの履歴を記した公的な記録で、本人や一定の親族が自治体などに請求して取ることができる。
 近年は記憶の薄れや聞き取る側の知識不足から場所や日時などがあいまいで、固有名詞の表記ミスも多く、風化に危機感が募る。福山さんは「記憶は記録することで生き続け、伝承が戦争の抑止力となる。体験者には記憶が正確なうちに記録に残してほしい。受け継ぐ世代には体験者が通ってきた道を、地図で調べたり、年表と照らし合わせたりしてたどり、伝えてほしい」と話す。
 「孫たちへの証言」は一冊千六百五十円。広島と長崎の原爆関連の寄稿を英訳した「ノーモア広島・長崎」もある。問い合わせは新風書房=電06(6768)4600=へ。

戦争体験者や伝承者らの声を集めた本「孫たちへの証言」を発行してきた福山琢磨さん(福山さん提供)


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