広島原爆の日式典で子ども代表「希望を未来へつなぐ」 平和への誓い【全文あり】

2020年8月6日 10時14分

平和記念式典で「平和への誓い」を宣言する大森駿佑君(左)と長倉菜摘さん=6日、広島市の平和記念公園で

 被爆地・広島の平和記念式典で「平和への誓い」を朗読する子ども代表に選ばれた広島市立矢野南小6年の大森駿佑しゅんすけ君(12)と、同安北小6年の長倉菜摘なつみさん(12)は、身内に被爆者はいない。それでも、見聞きした被爆者の体験などから戦争の悲惨さを感じて「平和をつなぐ懸け橋の1人になりたい」と意気込み、当日の朝を迎えた。
 「人間の手によって作られた核兵器をなくすのに必要なのは、私たち人間の意思。希望を未来へとつないでいきます」。式典で2人は参列者を前に、力強く声をそろえて誓った。
 父親の転勤で6歳から3年ほどを松山市で過ごした大森君は、小3の夏に再び広島市に戻ってきた際、小学校での平和学習の時間が多いことに驚いた。「戦争や原爆について深く知らないことに気付き、もっと知りたいと思うようになった」
 広島市で生まれ育った長倉さんは、昨年4月にリニューアルされた同市の原爆資料館を家族で訪れた際、衣服などの遺品を目にして「持ち主のぬくもりや悲しみが伝わってくるように感じた」と話す。被爆者の証言ビデオも閲覧し「原爆は実際に人が体験したことなのだと分かって衝撃的だった」と振り返る。
 「戦争は何の利益もない。ただ人が亡くなっていくだけだと伝えたい」と大森君。長倉さんは「過去に広島で起こったことを人ごとではなく、自分のこととして考えてもらえるようなメッセージにしたかった」と力を込めた。

◆「平和への誓い」全文

 「75年は草木も生えぬ」と言われた広島の町。
 75年がたった今、広島の町は、人々の活気に満ちあふれ、緑豊かな町になりました。
 この町で、家族で笑い合い、友達と学校に行き、公園で遊ぶ。
 気持ちよく明日を迎え、さまざまな人と会う。
 当たり前の日常が広島の町には広がっています。
 しかし、今年の春は違いました。
 当たり前だと思っていた日常は、ウイルスの脅威によって奪われたのです。
 当たり前の日常は、決して当たり前ではないことに気付かされました。
 そして今、私たちはそれがどれほど幸せかを感じています。
 75年前、一緒に笑い大切な人と過ごす日常が、奪われました。
 昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。
 目がくらむまぶしい光。耳にこびりつく大きな音。
 人間が人間の姿を失い、無残に焼け死んでいく。
 町を包む魚が腐ったような何とも言い難い悪臭。
 血に染まった無残な光景の広島を、原子爆弾はつくったのです。
 「あのようなことは二度と起きてはならない」
 広島の町を復興させた被爆者の力強い言葉は、私たちの心にずっと生き続けます。
 人間の手によって作られた核兵器をなくすのに必要なのは、私たち人間の意思です。
 私たちの未来に、核兵器は必要ありません。
 私たちは、互いに認め合う優しい心を持ち続けます。
 私たちは、相手の思いに寄り添い、笑顔で暮らせる平和な未来を築きます。
 被爆地広島で育つ私たちは、当時の人々が諦めずつないでくださった希望を未来へとつないでいきます。
 令和2年(2020年)8月6日 
 子ども代表
 広島市立安北小学校6年 長倉菜摘
 広島市立矢野南小学校6年 大森駿佑
(共同)

関連キーワード

PR情報

社会の最新ニュース

記事一覧