<ふくしまの10年・雪が落とした災い>(9)村内にまだ多くの子が

2020年8月7日 08時13分

村に残っていた子どもたちは、川俣町で間借りしていた校舎にバス通学していた=飯舘村で(豊田直巳さん提供)

 二〇一一年四月二十一日、飯舘村の幼稚園や小中学校は隣接する川俣町の学校などを間借りして再開した。西へ十数キロ、山を下った場所にある川俣町だが、放射線量は飯舘村より格段に低い。村内を継続取材していた豊田直巳さん(64)は、ひとまず安心できる環境で子どもたちが学べることを喜んだ。だが、強い違和感もあった。
 一つは、翌日からは川俣町で再開されるのに、合同の入園、入学式が村内で行われたこと。
 「せっかく川俣で再開できることになったのに、どうしてわざわざ村内で…」。雪が残る会場で取材しながら、豊田さんは疑問に思った。
 もう一つは、五月に入っても村役場を発着するスクールバスが走っていたこと。
 この時点では、仮設住宅は未完成で、行政は一次避難先の確保に追われていた。子どものいる家庭では、多くが三月から自力で避難していた。だが家業や勤め先などの理由で、子どもと村内に残っている家庭も少なからずあった。
 何人の子どもが残っていたのか、村役場に記録はないというが、村が運行するバスの半数に当たる六台が、村から川俣町に子どもたちを送っていた。残る子どもが減るにつれてバスも減ったが、運行は六月いっぱい続いた。
 バスで村役場前に帰ってきた子どもたちを写真に収めつつ、豊田さんは「既に学校は避難したのに、まだ子どもがこんなにも残っているのか」と驚かされた。

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