<ふくしまの10年・雪が落とした災い>(10)仮設暮らし、6年耐えた

2020年8月8日 06時32分

原発事故発生から3カ月。避難を前に、仏壇に手を合わせる菅野益枝さん(左)ら=飯舘村で(豊田直巳さん提供)

 飯舘村の全村避難は、東京電力福島第一原発事故から二カ月が過ぎた二〇一一年五月十五日から始まった。六月十四日、専業農家の菅野隆幸さん(76)、益枝さん(73)夫妻が村を離れる時がきた。
 益枝さんは、一緒に残っていた母親フサエさん(帰村後に死去)と、大広間にある仏壇に線香を上げた。
 「留守にしちゃうけど、うちを守っていてね」
 こう言いながら手を合わせると涙があふれ、何度ぬぐっても止まらなかった。
 住み慣れた家や丹精してきた畑から引き離される。息子世帯も含め八人の大所帯で暮らしていたのに離れ離れに。いつ終わるか分からない避難生活の始まりに心が沈んだ。
 避難する先は四十キロほど西にあるふくしま自治研修センター(福島市)。快適な施設だったが、「やることがないのがつらかった。センターの草刈りとかやらせてもらったよ」(隆幸さん)。
 八月には同市内に完成した仮設住宅に移ったが、悩みは「暇。楽をすると、野良仕事をする気をなくす」こと。汚染された村の畑は雑草が伸び放題で営農再開はあきらめ、大規模太陽光発電所(メガソーラー)用地として貸した。
 心の支えとなったのは、同市内と川俣町に畑を借り営農再開にこぎ着けたこと。気力を取り戻し、一七年三月末まで約六年間の仮設暮らしに耐えた。だが、村に帰った今も「目の前に自分の畑あんのに、お金だして畑借りてんだ」という状況は続いている。=おわり
(山川剛史が担当しました)

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