死の喪失の先を生きる 『赤い砂を蹴る』 小説家・劇作家 石原燃(ねん)さん(48)

2020年8月9日 07時00分

篠田英美撮影

 <自分の痛みに鈍感な人間は、人の痛みにも鈍感になるだけでなく、暴力に対して無防備になる。そしてよりひどい傷を負い、ますます鈍感になっていく>
 作中で主人公が、こう独白する場面がある。あれ、どこかで聞き覚えが…。記憶をたどると、今春の、性暴力根絶を願うフラワーデモの場でだった。石原燃さんはマイクを握り、同じ言葉を語っていた。
 幼いころ変質者に遭遇した。その衝撃を和らげようと、笑い話として体験談を周囲に話してきたという。でも「もう、性被害を笑い話にはしない」。決意の理由が、冒頭の言葉だった。
 母は二〇一六年に六十八歳で逝去した作家の津島佑子さん。他界後に刊行された母の作品集に文章を依頼され、記憶をよみがえらせた。小学生の弟が突然夭逝(ようせい)したこと。その混乱の中、弟が大事に飼っていたイモリが放置され、ひっそり死んでいたこと。「母子家庭の子どもは死亡率が高い」という根拠のない偏見にあらがい、母が真っ赤な口紅をつけたこと。母が自死するのではと恐怖におびえた少女時代…。それらを小説のようにつづってみた。
 三十三歳で戯曲を書き始め、劇作家として活躍してきたが、「この文章を書いたことがきっかけで、小説なら個人的なことが書ける」と気づいた。「女性であること、母子家庭で育ったことも含めて、自分のことを考えてみたくなった」
 小説は、母を亡くしたばかりの四十代女性が主人公。著者の人生と重ねたくなる要素に満ちている。だがもちろんこれは創作で、「家族の記録を残したかったわけではない」。舞台は日本とブラジル。日系ブラジル人の女性と旅する中で、主人公は亡き母の魂と対話し、生きる希望を探る。
 「未経験のことを想像で書くと紋切り型になってしまうので、自分の記憶に忠実に書こうと思った」。そんな実体験に裏打ちされた、細部の描写が胸に迫る。
 先月選考があった第百六十三回芥川賞の候補になった。祖父が太宰治ということが大きな注目を浴びた。「事実ですが、経歴がひとり歩きして先入観につながることには戸惑います」
 執筆中は「近しい人の死と、その先を生きるということ」を考えた。孤独や喪失への恐れと、どう向かい合うか。死という喪失に意味があるなら、それは何なのか。今後も書き続けるつもりだ。文芸春秋・一五四〇円。 (出田阿生)

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