その日の予定 事実にもとづく物語 エリック・ヴュイヤール著

2020年8月9日 07時00分

◆暗い歴史 詩的で抑制的に描く

[評]粂川麻里生(くめかわ・まりお)(慶応義塾大教授)

 作者のエリック・ヴュイヤールはフランスの小説家だが、映画監督としても知られる。第二次大戦前夜のヨーロッパを描く本作は、そんな彼の映画的感性も強く反映された、ユニークとも言うべき歴史絵巻だ。日本語タイトルの『その日の予定』は原題のほぼ直訳だが、その通り、一九三〇年代のいくつかの特定の日に起こった出来事が十六のほぼ独立したエピソードとして描かれていく。
 「物語」は一九三三年二月二十日、ドイツ帝国議会議長公邸で開かれた「秘密会合」から始まる。豪華なインテリアと葉巻の煙の中、首相ヒトラーや議長ゲーリングのもとに、クルップ、オペル、ジーメンスなど、ドイツ産業界の重鎮が集い、「最後の選挙」のための資金提供を約束する。
 その後も、さまざまな場所と場面がモンタージュ的に描かれる。オーストリア首相シュシュニクがヒトラーに恫喝(どうかつ)され、協定書にサインさせられる場面、アメリカに亡命したユダヤ系ドイツ人作家ギュンター・アンダースが働く貸衣装店、ダウニング街での、チェンバレンとリッベントロープの最後のランチ……。やがて、あらゆる動きは結実=破局に達する。オーストリアで国民投票が行われ、99・75%の圧倒的賛成をもって「ライヒ(帝国)」への併合が決まる。オーストリア出身であるヒトラーは各地で凱旋(がいせん)行進を行う一方で、一週間に千七百人を超える自殺者が出た。
 虚(むな)しく暗い歴史を描く文体は、詩的であると同時に、きわめて抑制的だ。すなわち、(冒頭の「太陽は冷たい星だ」に始まって)鮮やかなイメージがしばしば閃(ひらめ)きはするが、かといって情緒的な表現は一切なく、ひたすら「その日」が描かれてゆく。だがそれゆえにこそ、最悪の破局もまた「予定」に過ぎなかったことが突きつけられ、読者はしばしばぞっとすることだろう。あまたの作家が、膨大な言葉と頁(ページ)を費やしても必ずしも成功しなかったことが、膨大な資料のリサーチによって書き上げられた百三十一頁のrecit(レシ)(物語)に結晶しているのだ。
(塚原史ふみ訳、岩波書店・2310円)
1968年、フランス生まれの作家、映画監督。本書が2017年のゴンクール賞に。

◆もう1冊

 トーマス・ベルンハルト著『原因−一つの示唆』(松籟(しょうらい)社)。オーストリアの作家が描くナチス下の学校時代。今井敦訳。

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