「金堂」基礎を確認 「上野国分尼寺」跡の発掘調査 高崎

2020年8月8日 07時38分

基壇(土台)の外装に使われたとみられる凝灰岩の切り石を指さす市教委職員=高崎市で

 高崎市教育委員会は発掘調査中の古代寺院「上野国分尼寺(こうずけこくぶんにじ)」跡(同市東国分町)で、寺院の中心的建物で本尊を安置する「金堂」の基礎工事部分とみられる盛り土跡を確認したと発表した。金堂の規模や構造がほぼ判明し、これまでの調査と合わせ「寺院の主要な建物群の配置が明らかになった」としている。 (石井宏昌)
 金堂の礎石や基壇(土台)上部はほぼ失われていたが、地盤を掘り下げて突き固めた土を盛った基礎工事部分は良好に保存されているのを確認。一部で基壇の外装に使われたとみられる凝灰岩の切り石が見つかった。
 基礎工事部分の範囲は東西約二十七メートル、南北約二十メートルとみられ、厚さは少なくとも一メートルほどになる。建物の縁に沿うように埋め込まれた瓦の列も確認された。軒下の雨落ち溝の役割だった可能性がある。
 金堂とつながる回廊跡の全体規模や構造も明らかになった。これまでの調査で伽藍(がらん)地の主要部分を囲む回廊の規模は、四隅の柱間の計測で東西約五十二メートル、南北四十メートルと推定していた。新たに回廊東の五カ所で礎石が見つかり、より正確に柱位置が分かった。
 金堂跡の規模や構造について、市教委は「基礎工事が国史跡の上野国分僧寺と同じ仕様で、全国的にみても丁寧にしっかりと行われていることが分かる。創建当時、この地域に財力があったことがうかがえる」と分析している。
 上野国分尼寺は奈良時代の七四一(天平十三)年、聖武天皇が発した「国分寺建立の詔」で、約三百メートル西にある上野国分僧寺(史跡上野国分寺跡)とともに創建された。これまでの調査で尼の宿舎「尼房」跡や伽藍地の東辺や北辺の範囲などを確認している。
 一般向け現地説明会は新型コロナウイルスの影響で行わず、遺構の写真パネルや出土品の展示を九月五〜二十六日、高崎市井出町のかみつけの里博物館ロビーで実施する。ロビー内は見学無料。火曜休館。問い合わせは同博物館=電027(373)8880=へ。

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