<東京探訪>増上寺から魚籃坂 落語「徂徠豆腐(そらいどうふ)」の舞台

2020年8月9日 06時47分

増上寺の大門=いずれも港区で

 落語や講談、浪曲でおなじみの「徂徠豆腐(そらいどうふ)」は、江戸中期の儒学者荻生徂徠の逸話を描いた演目。江戸に出てきたばかりの徂徠が住んでいた東京・芝の増上寺前を振り出しに、その舞台を訪ね歩いた。
 増上寺の門前に店を構えていた豆腐屋七兵衛は、貧乏長屋の徂徠に出世払いで豆腐の差し入れを続けた。やがて徂徠は長屋を出て行き、七兵衛も徂徠を忘れてしまう。
 その後、七兵衛は赤穂浪士の討ち入りの翌日に起きた火事で焼け出され、魚籃坂下の薪屋に避難する。魚籃坂は港区三田四丁目と同区高輪一丁目の境にある坂で、交差点の名前に魚籃坂下の名が使われている。

魚籃坂から望む魚籃坂下交差点

 翌年、二人は豆腐屋があった場所で再会。ところが、徂徠が将軍の御用学者となり、町人たちに人気だった赤穂浪士の切腹を主張していたことに七兵衛は立腹。恩返しとして徂徠が再建した店や見舞金を突っぱねてしまう。しかし、徂徠が熱心に武士の心を説いたおかげで納得し「先生は私のために自腹を切ってくださった」と全てを受け入れる。
 魚籃坂下交差点から東に進んだ長松寺に徂徠の墓があり、国の史跡に指定されている。大石内蔵助ら、赤穂浪士が眠る泉岳寺からは歩いて十分ほどの距離だ。

加賀千代女の俳句で詠まれた「朝顔の井戸」

 せっかくここまで来たら、魚籃坂の途中にある薬王寺にも足を運びたい。俳人加賀千代女の代表句「朝顔に 釣瓶(つるべ)とられて もらひ水」の題材となった井戸が今も残り、「朝顔の井戸」と呼ばれている。訪ねた日はちょうど朝顔のつるが巻き付いたつるべが見られて、なんともうれしい気持ちになった。
【メモ】魚籃坂を上りきった先に、東京歯科大の前身があったことを示す「歯科医学教育発祥之地」の石碑が立っている。

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