被爆者・谷口さんら描いた本「ナガサキの郵便配達」 平和の教科書に

2020年8月9日 07時24分

2016年12月、長崎市で開かれた国連軍縮会議で、原爆の熱線で負ったやけどの写真を見せる谷口稜曄さん

 長崎の被爆者で、核兵器廃絶を訴え続けた谷口稜曄(すみてる)さん(1929〜2017年)らを描いたノンフィクション「ナガサキの郵便配達」が地道な“平和運動”を発信している。谷口さんの遺志を継ぐプロジェクトが2年前に本を復刊、高校への寄贈などを展開している。長崎の原爆投下から75年、「記憶の忘却を恐れる」と語っていた谷口さんの思いは届くか。 (藤浪繁雄)

復刊本を前に「コロナ禍で活動が思うようにできないが、地道に寄付してくださる人たちのおかげで続けることができる」と話す斎藤芳弘代表=東京都千代田区で

 プロジェクトは本の復刊運動から始まった。グラフィックデザイナー、写真家、東京都内で出版社も営む斎藤芳弘さん(73)が代表を務める。知人の映画監督の川瀬美香さんを通じ、谷口さんが復刊を願っていると聞いたことがきっかけだ。賛同者から寄付を募るスタイルで二〇一八年八月九日に出版、これまで約一万部を発行した。四千部を長崎県などの高校に寄贈した。斎藤代表は「毎月のように千円ずつ寄付してくれる人もいる。皆さんの善意、ボランティアで何とか続いている」と明かす。今夏も爆心地近くの純心中学・純心女子高校に四百五十冊を贈るなどの活動を続ける。

ピーター・タウンゼントさん

 著者は英国人ジャーナリストのピーター・タウンゼントさん(一九一四〜九五年)。第二次大戦中は英空軍のパイロットで、英王室侍従だった戦後は王女とのロマンスがあり、映画「ローマの休日」のモデルになったとされる。
 後半生は戦争の犠牲になった子どもたちについての執筆をライフワークにした。その中で、郵便配達中に被爆した谷口さんを知った。熱線で背中に大やけどを負い、自らの「赤い背」の写真を見せながら非核、平和を唱える姿に衝撃を受け、長崎で取材を重ねた。本は一九八四年に出版、日本語版は翌年出たが絶版となった。二〇〇五年に有志により復刊されたが、広く流通することはなかった。
 しかし、谷口さんはこの日本語版を「記述が足りない部分がある」として再刊を願ったという。斎藤代表は、ピーターさんの長女で、女優でモデルのイザベルさん(59)の快諾を得て、清泉女子大の中里重恭元教授の翻訳で復刊させた。

2年前に復刊された本

 「若い世代に手に取ってほしい」。斎藤代表の思いを受け、長崎の高校を回ったのが、二歳の時に被爆した広瀬大輔さん(77)。「今も核開発している国もある。日本も集団的自衛権などを行使できる安全保障関連法が施行され恐ろしいと感じる」と話し、「被爆者として何らかの形で活動したいと考えていた。本を通じて戦争は人ごとではないと、若い人たちに伝えたい」と使命感にあふれる。
 昨秋、百冊贈呈された東京純心女子中学・高校(八王子市)の松下みどり校長は「谷口さんの体験や人生を具体的に初めて知ることができた」と感想を話す。平和教育を重視する校風から「生徒たちがどんな形で平和に貢献できるのか。この本は真剣に考える機会になる」と意義を語る。
 被爆から七十五年、プロジェクトは啓発イベントも計画したが、コロナ禍で中止となった。斎藤代表は「思うように手を広げられない」と頭を抱えるが、近く長崎の高校に約三千冊贈る予定で地道に活動を続ける。今年は原書の英語版も出した。核保有のロシア、中国、フランス、インドでもそれぞれの言語での出版を目指している。

ドキュメンタリー映画撮影の際のイザベル・タウンゼントさん(右)=長崎市で (c)ayumi sakamoto

 パリ在住のイザベルさんの来日も中止。本紙の取材に「この本はすべての核兵器の廃絶を促す貴重なツール(道具)であり、平和へのマニュアルだ」と強調。一昨年、長崎を訪れ父の足跡をたどった経験にも触れ「人として成長できたし、私たちが直面している大きな脅威も実感した。私も欧州で本を広めていきたい」とメールで答えた。
 斎藤代表は「自国ファーストがはびこる世界。同じ過ちを繰り返す前に本が核兵器廃絶の一助になれば。それが谷口さんの願いだ」と情熱を燃やす。

<本だけでなく>原作者の娘にスポット当てた映画 朗読配信も

(左)川瀬美香監督 (右)松田洋治さん

 「ナガサキの郵便配達」は書籍以外にも広がりを見せている。谷口さんと親交があった川瀬監督は、イザベルさんにスポットを当てたドキュメンタリー映画をほぼ仕上げた。父ピーターさんや谷口さんの足跡をたどった作品だ。
 撮影の過程で、ピーターさんが長崎で取材した時の肉声テープが多数見つかり、作品の厚みを増した。川瀬監督は「歴史の深掘りをしたり、むやみに『平和』と訴えるつもりはないが、ピーターさんが取材した事象を忘れないために手掛けた」と話す。
 心残りは「被爆75年の節目の夏に公開できなかったこと」。その一因に、フランスなどのテレビ番組に谷口さんとピーターさんが一緒に出演した時の映像使用料で折り合いが付いていないことがある。コロナ禍もあって、資金集めは容易ではなく、個人や団体からも寄付を募っている。谷口さんが「(ピーターさんは)静かな人だが、しつこくよく来たね」とうれしそうに話していたことを思い出す。「2人の友情」をつづった作品の公開を焦らず実現させるつもりだ。
 朗読コンテンツがオトバンクから有料配信されている。昨夏の収録に参加した俳優で、スタジオジブリ作品などの出演で知られる松田洋治さん(52)は「叙情に流されず淡々と伝えていて、客観性を持ちリアルに感じた。読み手の想像力を刺激する本。そのイメージを保ちながら伝えていこうと考えた」と振り返る。「戦争は今もどこかで続いていて、地球上には同じように苦しんでいる人がたくさんいる。幸いにも日本では戦争は75年前までのこと。唯一の被爆国として、(本も朗読も)若い世代に語り継いでいく必要がある」
<ナガサキの郵便配達> 谷口さんの壮絶な被爆体験をはじめ原爆を投下した米軍機内の様子、旧日本軍の状況、日米首脳らの思考などを全26章で構成。260ページ。長崎原爆の日にちなみ809円(税別)。スーパーエディション刊。問い合わせは一般社団法人「ナガサキの郵便配達制作プロジェクト」=(電)03・6821・7702。

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