悲劇の生存者「贖罪に時効はない」 終戦前日、旧満州にソ連が襲撃「葛根廟事件」 <つなぐ 戦後75年>

2020年8月10日 05時50分

葛根廟事件や戦争についての思いをまとめた証言集「今に想う」を持つ大島満吉さん=東京都内で


 太平洋戦争の終戦前日、旧満州(中国東北部)で、避難中の日本人千数百人が旧ソ連軍の戦車隊の襲撃に遭い、多くが犠牲になった「葛根廟かっこんびょう事件」。わずか百数十人の生存者の1人、大島満吉さん(84)=東京都練馬区=が中心となり、戦後75年に合わせて事件や戦争についての証言集を作った。「自分だけが逃げた、生き残ったという呵責かしゃくの念、贖罪しょくざいの意識に時効はない。風化させたくない」と語る。(奥野斐)

 葛根廟事件 1945年8月14日昼、旧満州の葛根廟(現在の中国内モンゴル自治区)に向けて避難する日本人の一団が旧ソ連軍の戦車隊に襲われた。自決や避難途中に死亡した人も含め1000人以上が死亡したとされるが、正確な被害実態は分かっていない。犠牲者の多くは女性や子どもだった。生存者は百数十人とみられ、うち30人以上は中国残留孤児となった。

◆ソ連軍の戦車隊が突っ込んできた

 「戦車だ、逃げろー」。ソ連軍の戦車隊が突如、日本人の一団に突っ込み、人々をなぎ倒し、機銃弾を浴びせた。大島さんはとっさに目の前の自然ごうに飛び込み、難を逃れた。
 1945年8月9日のソ連の対日参戦で、満州西部の街・興安に住む日本人の約半数が、南東約35キロにあるラマ教寺院「葛根廟」に向かって避難をしていた。汽車もなくなり、幼子や荷物を抱えた人々はひたすら大草原を歩いた。避難を始めた初日こそ炊き出しがあったものの、2日目からは食事もままならなかった。

葛根廟事件を描いた絵(赤星月人「葛根廟事件邦人遭難の図」天恩山 五百羅漢寺所蔵)

◆「もう駄目だ」死を覚悟

 当時国民学校4年だった大島さんは、母と6歳の弟、3歳の妹と列にいた。ソ連兵は壕に逃げた大島さんの真後ろにも来た。「もう駄目だ」。死を覚悟したが、見過ごされた。
 辺りは死体や息絶えそうな人、人、人…。避難の列を統率していた在郷軍人が解散を告げ「子どもは親が始末するように」と言った。母が「どうしようかね」とつぶやいた一言が、大島さんには「死ぬしかない」と同意を求めたように感じたという。「幼子を抱え、生きる道がなくなったと思ったんでしょう」

◆「ずっと身内には話せなかった」

 母は血まみれで倒れている男性の軍刀を借り、「ごめんね」と言って、目の前で妹ののどを突き、息絶えた妹にハンカチを掛けて拝んだ。「親が子どもを手にかけるなんて理解できないかもしれない。ずっと身内には話せなかったんです」
 在郷軍人が刀で自決を補助する列に並んでいた時、はぐれた父と兄に再会。父が母を説得し、その列から抜け出した。列には同級生らもいた。

◆「軍隊は国の機構を守るもの、国民は守れない」

 現地の住民にも助けられ、生き永らえた一家は終戦翌年に帰国。守ってくれると思っていた関東軍は民間人より先に避難していたことも知った。「軍隊は国の機構を守るものであって、国民は守れない」と実感した。
 生存者や遺族らでつくる「興安街命日会」は、毎年8月14日に東京都内で慰霊祭を続けてきた。今回の証言集「今に想う」には、生存者5人を含む25人が体験や戦争への思いを寄せた。大島さんは「人間が人間でなくなる、それが戦争。生き残った者として伝えるのが責務だと思っている」とかみしめた。

映画「葛根廟事件の証言」の一場面。この付近で事件は起きた

◆横浜で10日からドキュメンタリー上映

 事件の生存者や関係者12人をインタビューしたドキュメンタリー映画「葛根廟事件の証言」(田上龍一監督)が10~14日午後2時10分から、横浜市中区の「横浜シネマリン」で上映される。コロナ対策により定員54人。電045(341)3180。

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