障害者と寄り添って生きた坂本九さん あす日航ジャンボ機事故35年

2020年8月11日 13時50分
岡本佳子さんが作品に記した坂本九さんへのメッセージ=4日、札幌市豊平区で(共同)

岡本佳子さんが作品に記した坂本九さんへのメッセージ=4日、札幌市豊平区で(共同)

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 「上を向いて歩こう」。社会が苦難に直面した時、多くの人が口ずさむ曲がある。東日本大震災後に多くのアーティストが演奏し、新型コロナウイルスへの不安がまん延する今は動画サイトにも投稿される。歌ったのは1985年の日航ジャンボ機墜落事故で亡くなった坂本九さん=当時(43)。12日で事故から35年。心に残る歌を残したスターのあまり知られていない、障害者に寄り添ってきた姿を知る人に話を聞いた。

◆事故1週間前に電話「また会いに行くから」

 「坂本だよ! 坂本。九だよ。九!」。ダウン症のある岡本佳子さん(48)の札幌市の自宅に突然電話があったのは、事故の1週間前だった。当時13歳の佳子さんに「今度また会いに行くから」と打ち解けた様子で語り掛けた。北海道で長年放映された障害者と出演する番組での司会を通じ、知り合った佳子さんと友人のように接していた。
 佳子さんの母久子さん(80)は「見せかけの優しさや哀れみは敏感に見極める娘が、心から信頼していた」と振り返る。佳子さんは「25歳になったら自分の美術館をつくる」と九さんと約束。
 自宅に「小さな美術館」をつくったのは97年。思い描いた通り、25歳の時だ。現在公開はしていないが、久子さんが特別に案内してくれた。好んで描くお地蔵さまなどの作品が所狭しと並ぶ真ん中に、九さんのコーナーが。佳子さんに贈られた詩が記されている。
 「どの花にも…。草にも…。1つのいのち…。」
 佳子さんは今も言う。「家族の次に、九ちゃんが1番大好き」

◆「1歩1歩」共生への思い 今もなお

 親しかったのは佳子さんだけではない。北海道栗山町に、番組に出た障害者施設のメンバーらが中心となり93年に建てた「坂本九思い出記念館」がある。身体や知的障害のある人たちと笑顔で並ぶ写真の数々が飾られている。その中には事故の2週間前に町で一緒にバーベキューをした姿も。
 九さんと親交があり、記念館管理者で社会福祉法人「栗山ゆりの会」の橘文也さん(73)は「大スターが全く偉ぶらずに、自然に寄り添っていた」と話す。障害者が共に生きられる社会を目指すには。番組と関係なく、多くを語り合った日々があった。
 それから長い歳月が過ぎた。共生社会への理解は進んだと思われた一方で、4年前に起きた相模原障害者施設殺傷事件。橘さんは自分たちが進めてきたことが、覆されたような絶望を感じた。
 だが、そんな時に思い出す九さんの言葉がある。「世の中は急には変わらないよ。1歩1歩だよ。1歩1歩、進んでいくしかないよ」。長く愛されている歌とともに、九さんの気持ちは今も人々の心に残されている。

 日航ジャンボ機墜落事故 1985年8月12日午後6時56分、乗客乗員524人を乗せた羽田発大阪行き日航123便ジャンボ機が群馬県上野村の山中に墜落し、520人が死亡した。死者数は単独事故では世界の航空史上最悪。87年、当時の運輸省航空事故調査委員会は、78年に起きた尻もち事故で圧力隔壁の修理にミスがあったことが原因と結論付けた。群馬県警は業務上過失致死傷容疑で米ボーイング社や日航、運輸省の計20人を書類送検したが、全員不起訴となった。

(共同)

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