東京に20店超 「三好弥」のルーツは「三河の好弥さん」だった

2020年8月13日 06時42分

三好弥の前に立つ(左から)長谷部鉐利さん、妻の洋子さん、長男の利明さん=荒川区で

 東京都内には「三好弥(みよしや)」の屋号を持つ店が二十数店ある。いずれも小規模なレストランだが、みそカツを売りにしている店もあれば居酒屋風の店もある。調べてみると、大正時代にできた一号店からのれん分けを繰り返し、現在に至っているというから、ただ者ではない。その歴史は百年を超える。ということで、本日は「三好弥物語」−。
 「三河(愛知県東部)の好弥さんが始めた店だから三好弥です」
 荒川区東日暮里で三好弥を営む長谷部鉐利(せきとし)さん(78)の言葉に、思わず「ほ〜っ」と声が出る。今回取材したすべての関係者が同じ説明をした。「三好さん」の店だろうと思ったあなたは間違いです。
 東日暮里の店は長谷部さんが一九六七(昭和四十二)年にのれん分けを許され、この地に開いた。「好弥さんからみて私は孫弟子。いや、ひ孫弟子かな…」

100年以上前に三好弥を創業した長谷川好弥さん(右)(撮影年、場所とも不明)=神谷澄子さん提供

 店の看板には「三河名物 特製みそとんかつ」の文字が見える。人気はやはりみそカツだそうで、三河人の私には懐かしい味だ。数種類のみそをブレンドするという。「ブレンドの仕方は他人には教えられませんね」。これは企業秘密。
 気になるのは「好弥さん」とは何者かだ。三河地方の安城市にあった三好弥(閉店)の元女将、神谷澄子さん(74)は親戚にあたり、疑問に答えてくれた。
 その人は長谷川好弥さんで、一八九五(明治二十八)年、安城市の隣の高浜市生まれ。「父親の嘉市さんは『これからは農業でなく商売』という考え方の持ち主。養蚕業で蓄えた(当時の金で)五千円を好弥さんの開業資金に充てたそうです」

芝大門にあった三好弥で修業する若き日の長谷部鉐利さん=昭和32年ごろ(長谷部さん提供)

 上京した好弥さんが一九一九(大正八)年、今の文京区小石川で開いた洋食店が三好弥一号店(現存せず)となった。三河人が創業した店ではあるが、発祥地は東京だ。
 好弥さんのもとには親類縁者が集まり、修業を積んで独立していった。ちなみに長谷部さん、妻の洋子さん(76)とも高浜出身。

三好弥各店の会「三好弥会」の名簿

 長谷部さんが赤茶けた冊子を見せてくれた。「会員名簿 三好弥会」。九一年の都内の店舗を載せたもので、ちょうど六十店ある。新年会やバス旅行で親睦を深めたという。
 会則違反の店には懲戒を科す規定もあり、「戒告」「出席停止」「除名」「損害賠償」の順で重くなる。除名だの損害賠償だのとは穏やかではないが、「一応決まりごととしてつくっただけ。実際に懲戒を受けた店はない」とか。

人気は三河名物みそとんかつ

 三好弥は昭和の最盛期には約百三十店にも達したというから一大勢力だった。九一年で六十店、そして現在は二十数店という。三好弥会は自然消滅してしまったが、それでも百年の歴史を持つ屋号は存在感を放ち続ける。
 面白いのは店によってメニューや雰囲気がまるで違うことだ。荒川区東尾久の三好弥では牛スジ煮込み、レバニラ炒めなどの居酒屋メニューが並ぶ。店主の久米盛夫さんが十四年前に他界し、今は妻の明美さん(76)が娘の富永咲江さん(48)らと切り盛りする。

東尾久の三好弥は居酒屋風=荒川区で

 客は食事というより、一杯飲みに来た近所の人たちばかり。久米さんは客と世間話をしたり、テレビで野球中継を見ながら、ひいきのチームを応援している。「お客さんはみんな家族みたい」と笑った。
 文京区大塚の三好弥はステーキやハンバーグが売り。三河人がつくった三好弥は各店が個性を競い合って東京に根を下ろしている。
 文・浅井正智/写真・川上智世、浅井正智
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