松原団地、たどる今昔 かつて「東洋一のマンモス団地」 草加で写真など展示

2020年8月13日 07時15分

1981年10月、台風による冠水で膝まで水につかるサラリーマンたち

 高度経済成長期に建てられ、「東洋一のマンモス団地」と呼ばれた草加市の草加松原団地。現在は再開発が進み、新たな街並みが広がる。その今昔を写真などの資料で伝える企画展が、同市立歴史民俗資料館で開催されている。かつてはモダンなライフスタイルの象徴だった団地の風景から、時代の変化が浮かび上がる。(近藤統義)
 松原団地は一九六一〜六四年に建設され、総戸数は五千九百二十六戸。東京都内に通勤するサラリーマン家庭が主に入居した。同時期に東武線の松原団地駅が開業、近くには独協大も進出し、水田だった一帯は大きな発展を遂げた。
 「団地と言えば古いイメージだったのが、世代によって見方が異なることが分かりました」。住民の証言や資料を集め、企画展を準備してきた学芸員の半沢佳奈さん(25)はこう語る。
 六五年ごろに発行された松原団地のパンフレットを見ると、最も多い2DKタイプの家賃は約八千円。当時の大卒初任給の半分近い金額だ。第一次の入居募集も約十四倍という高倍率で、高根の花だったことがうかがえる。

1973年8月にあった「第10回まつばらだんち祭」

 そんな憧れの暮らしを手に入れた「団地族」を悩ませたのが、大雨による水害だった。水はけが悪く、膝まで水につかる人の姿や、通勤靴に履き替えた後の長靴が駅の階段に並べられた様子が写真に残る。電話回線の不足や度重なる断水など、生活基盤の整備の遅れも問題となった。
 老朽化による建て替えは二〇〇三年に始まり、高層集合住宅群に生まれ変わった。一七年には駅名が「独協大学前」に改称され、「団地」の文字が消えた。
 時代の移ろいを示す一方、自治会が開く「まつばらだんち祭」など脈々と続いている営みもある。
 この巨大団地を研究テーマとする独協大の岡村圭子教授(社会学)は「団地は日常の生活文化の遺産と言える。そうした価値付けがされていく上で、今回のような展示は意義がある」と話している。
 約五十点を展示する「草加×東洋一のマンモスだんち展」は十月四日まで。月曜休館、入場無料。

1973年12月、灯油の引換券を求めて自治会事務所に殺到する住民たち。当時はオイルショックの最中だった(いずれも草加市立歴史民俗資料館提供)


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