<ふくしまの10年・コットン畑は紡ぐ>(4)分断の街 生まれたつながり

2020年8月14日 07時40分

畑でボランティアを受け入れた折笠茂子さん=いわき市で

 いわき市でオーガニックコットンの栽培が始まった二〇一二年夏、NPO法人ザ・ピープル理事長の吉田恵美子さん(63)は、東京新聞本社(千代田区)で開いた、被災地の女性が語る座談会に参加してくれた。
 それが吉田さんとの出会いだった。発言の途中、何度か涙ぐむ姿を見た。街の分断に苦しんでいた。当時の紙面の一部を紹介する。
 <吉田 いわき市内は津波被災者と、原発事故による双葉八町村の避難者が住み、立場の違いからコミュニティーが分断し共通のものが何もない>(一二年八月一日朝刊)
 原発避難者が数多く住むいわき市では、市長が「賠償を受けて働いていない方がいる」と発言するなど、複雑な思いが渦巻いていた。津波や地震の爪痕が残る上に、感情の溝もある。
 街は傷だらけだったが、コットン畑ではやさしいつながりも芽生えていた。
 山間地にある十三軒の為朝集落では地震で簡易水道が壊れ、水が使えなくなった。支援物資のペットボトルを、集落総出で軽トラックで取りにいくような日々が続いた。田んぼに水を引くこともできなかった。
 専業農家の折笠茂子さん(64)はコットンは乾燥に強いと聞いて始めた。一二年から四年間、ボランティアのバスツアーを受け入れた。集会所に野花を飾り、カレーを作って歓迎した。
 集落では新たな簡易水道を作る財源に頭を痛めていた。高齢化が進んでおり、市の補助を受けても、自己負担分が払えない人もいた。その話を聞いた東京のボランティアが、インターネット上で資金を集めてくれた。
 水道を引くことができ、地域もちょっぴり元気になった。「顔見知りしかいない集落に、バスが来るんだよ。年寄りにはカンフル剤になった」(折笠さん)
 ◇ご意見はfukushima10@tokyo-np.co.jpへ

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