たましいに寄り添って 『霧の彼方かなた 須賀敦子』 批評家、随筆家・若松英輔さん(52)

2020年8月16日 07時00分

若松さん提供

 イタリアで生きた日々を題材に『ミラノ 霧の風景』などの著作を残した須賀敦子さん(一九二九〜九八年)。没後二十二年を経てなお膨らみつづける種を読者の胸に植え付けた須賀さんとは何者だったのか。そのたましいに寄り添うように、文芸誌での二年余の連載を基に五百ページ近い評伝を書き上げた。「独り善がりにならないように、横で須賀さんが読んでいる実感をもって書いていた」
 須賀さんの作品は「エッセー」といわれることが多いが、若松さんは<新しい意味と可能性を蔵した私小説>と位置付ける。その上で<信仰を抜きにした須賀敦子を語っても、蝉(せみ)の抜け殻を見るようなもの>と、カトリック教徒としての求道の歩みを<内なるキリスト教思想家>として浮かび上がらせた。その知識の厚みは圧倒的だ。若松さんはクリスチャンの母を持ち、生まれてすぐに洗礼を受けた。少年時代までは「神父になりたいと思っていた」という。生前の須賀さんとは面識はなく、著作も読んでいなかったが、二〇〇七年に雑誌『三田文学』で新人賞を取り、編集長から受賞第一作として依頼されたのが百枚で書く須賀敦子論だった(未刊行)。
 須賀さんがミラノで暮らした一九六〇年代は、カトリックがキリスト者以外にも開かれていった変革期。代表作『コルシア書店の仲間たち』も<「現代社会のかかえる問題から決定的にとりのこされている教会を、どうやって今日のわたしたちが生きている時間に合わせるか」という革命的な問題に直面し、そこに突破口を開いた者たちの挑みの歴史物語>と見る。「コルシア書店の活動はフランシスコ現教皇の思想そのもの。須賀さんはその中核にいた。文学の世界だけに閉じ込めておくわけにはいかない」と力説する。
 また、須賀さんが夫ペッピーノを亡くした後、ノーベル賞作家の川端康成に「そこから小説がはじまる」と示唆される場面は印象的だ。死者とともにある生者を描くことが文学であり、自分の悲しみを深化させることで他とつながる−。若松さんが妻との死別を明かした著作『悲しみの秘義』と深く響き合う。
 作家として須賀さんが活動したのは人生最後の七年ほど。初の長篇小説『アルザスの曲(まが)りくねった道』は未完に終わったが「それは全然残念じゃない。これ以上行けないところまで行った人が未完の作品を残せるんです」。須賀さんは言葉にできる世界を超えたのかもしれない。
 集英社・二九七〇円。
 (矢島智子)

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