<つなぐ 戦後75年>70年越し「父にお帰り」 日立の有馬さん 市郷土博物館に遺品寄贈

2020年8月16日 07時05分

「後世に戦争のことを伝えている父の遺品を誇りに思う」と話す有馬義明さん=日立市で

 「おやじはよっぽど帰ってきたかったんだろうな」。日立市の有馬義明さん(81)の手元に二年前、太平洋戦争時に硫黄島で戦死した父の遺品の外套(がいとう)と軍靴が戻り、市郷土博物館に寄贈した。十五日は終戦から七十五年。遺品は今、戦時を人々に伝える役割を担う。義明さんは「戦争の悲惨さは当時を生きた人にしか分からず、だんだん風化している。当時を思い起こすきっかけになれば」と語る。(松村真一郎)

有馬元明さん

 義明さんの父の元明さんは大子町出身で、日立市で反物の行商をしていた。仕事帰りには、長男の義明さんに駄菓子を買ってきてくれ、義明さんは「かわいがってくれた」と懐かしがる。
 だが、戦況の悪化とともに、平穏な日常にも戦争の影が迫ってきた。元明さんは自ら志願して、海軍陸戦隊に入隊した。
 一九四四年(昭和十九年)に硫黄島警備隊の一員となり、隊が玉砕した翌四五年三月十七日に、三十二歳で亡くなったとされる。
 「残された私たち家族のことを考えないで、何で戦地に行ったのか」。義明さんは戦後、父がいないことに引け目を感じ、志願して戦地に赴いた元明さんを恨んだこともあった。
 その一方で、「父に会いたい」という思いは消えず、二〇〇四年から二回、国と県の慰霊巡拝で硫黄島に行ったこともあった。
 戦後七十年がたった二〇一五年、遺骨収集活動で、島内の壕(ごう)から元明さんの軍靴と外套が見つかった。調査を経て、一八年三月に義明さんの元に届けられた。
 終戦から七十年以上たって父の遺品に触れた義明さんは「父が帰ってきた」と胸がいっぱいになった。外套には「有馬元明」と氏名が記載されており、「昔に見たはがきの字体と同じだ」と、父を感じることができた。
 外套も軍靴も保存状態はよかったが、このまま手元で保管しておくのは難しいと判断し、半年後に市郷土博物館に寄贈した。
 博物館は、常設展示はしていないが、今年五月下旬から七月下旬に開催したギャラリー展「戦中戦後の新収蔵資料」で、二点を初公開した。十五日まで、日立シビックセンターで開かれた日立市平和展でも展示された。
 義明さんは「父の遺品が、後世に戦争を伝えてくれていることを誇りに思う」と話した。

有馬元明さんの外套。名札に氏名が記載されている=日立市の日立シビックセンターで

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