松竹映画 蒲田から始まった100年の歩み 30日まで京橋で企画展

2020年8月18日 07時13分

国立映画アーカイブで開催中の「松竹映画の100年」展

 中央区京橋の国立映画アーカイブで「松竹第一主義 松竹映画の百年」展が開かれている。「男はつらいよ」「釣りバカ日誌」など国民的人気シリーズを生み出したメジャー映画会社のルーツに迫る。 (浅田晃弘)
 始まりは蒲田(大田区)だった。演劇興行を手掛けていた松竹の創業者、白井松次郎と大谷竹次郎の兄弟は、ハリウッドを視察した末弟の白井信太郎の報告を受け、大衆娯楽としての映画の将来性を確信。一九二〇年、蒲田撮影所を開設した。米国の機材を輸入し、ハリウッドで活躍していたカメラマンを呼び、製作態勢を整えた。
 国立映画アーカイブ特定研究員の浜田尚孝さんによると、蒲田撮影所の開設初年に製作された四作品は、フィルムが残っていない。写真で異彩を放つのが「光に立つ女」。亡命ロシア人の舞踊家キティー・スラーヴィナが、男性をひざまずかせているシーンだ。実現しなかったが、作品の海外輸出を視野に入れての起用だったという。

蒲田撮影所外観(国立映画アーカイブ提供)

 大船撮影所(神奈川県)が完成し、三六年に移転するまでの十六年間の時代に「蒲田調」のスタイルが確立する。「松竹第一主義」をモットーにした城戸四郎所長は、庶民生活に根差した「小市民映画」に力を入れた。代表する一人が、戦後に世界的な名声を博する小津安二郎。小津が監督した「お嬢さん」(一九三〇年)のポスターは、日本の商業デザインの草分けとされる河野鷹思(こうのたかし)の手による。当時、松竹宣伝部に在籍していた。
 ほか「大船調」や「戦後の名作」「平成から令和へ」などをテーマに、日本映画界をけん引してきた軌跡をたどる。
 戦争の時代を紹介するコーナーでは、俳優がサインを寄せ書きした出征旗を展示した。「武運長久」と書かれた日の丸には田中絹代、笠智衆ら名だたる人々の名前が見える。
 松竹の企画協力で、計約百八十点の資料を展示。三十日まで。一般二百五十円、大学生百三十円、シニアと高校生以下は無料。問い合わせは、ハローダイヤル=050(5541)8600=へ。

「男はつらいよ」(1969年、山田洋次監督)ポスター(国立映画アーカイブ提供)

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