2つの悲劇、共感力の源に 3度目の挑戦<米大統領選 バイデンの戦い 上>

2020年8月19日 06時00分

2008年8月、民主党大会で党の副大統領候補に指名されたバイデン(左)と長男ボー=ゲッティ・共同

 米中西部アイオワ州のケイト・グロンスタル(42)は2012年、悲しみのどん底で泣き崩れていた。予想もしなかった夫の死。その時、携帯電話が鳴った。代わりに取った母コニーが、出なさいと促した。
 「ジョー・バイデン」。電話の男はそう名乗った。「時間がかかるかもしれないが、あなたは乗り越えることができる。思い出が涙の前に笑顔をつくる日が来る」
 副大統領だったバイデンは多忙の中、その後も彼女に連絡し続けた。
 知人だったグロンスタル家だけではない。バイデンはイラクで戦死した若者の親や地元の食堂の女性など、愛する者を失った多くの人に連絡を取る。その言葉が真実味を伴って響くのは、自身が大きな2つの悲劇を経験しているからだ。
 父は車の販売員で、中流家庭に育った。弁護士を経て、地元東部デラウェア州の郡議員となり2年後の1972年11月、29歳で転がり込んできた上院議員選挙出馬のチャンスをものにし、初当選。「大統領になる」と語っていた野心的な青年は、史上6番目の若さで上院議員に就任することに。「物事がうまくいきすぎている」。妻ネイリアは不安を漏らしていた。

1972年11月、米議会上院に初当選した直後の30歳になる誕生日にケーキを切り分けるバイデンと妻ネイリア、息子たち。この約一月後に事故が起きる=ゲッティ・共同

 当選から6週間後。クリスマスツリーを買いに出たネイリア運転の車がトラックと衝突し、ネイリアと1歳の長女ナオミが死亡。長男ボー、次男ハンターも重傷を負った。
 絶望の中、自殺も議員職の辞退も考えた。それでも幼い息子2人を前に「生き続けて戦う以外、選択肢はないと知っていた」。著書にはそうつづる。
 大統領選は過去2度挑戦。1度目はすぐ撤退し、2度目はオバマ、ヒラリー・クリントンに全く相手にならずに終わった。
 2008年、そのオバマから副大統領にと求められた。8年間、政権を中枢で支え確固たる知名度も得た。3度目の大統領選を目指す矢先、再び悲劇が襲う。
 40年前の事故で生き延び、デラウェア州司法長官も務めた長男ボーが15年に脳腫瘍で死亡したのだ。悲しみの中、翌年の大統領選への出馬を断念した。
 既に70歳を大きく超え、バイデンの政治キャリアは終わったかに見えた。だがそこに、米社会の分断や対立をあおるトランプ大統領が現れた。
 バイデンがトランプの対抗馬となるのは運命だ、と元スタッフで弁護士のモウ・ベラ(58)は強調する。
 「彼は経験した悲劇によって人々に共感し、慰め、まとめる力を得て、共感のリーダーとなった。米国は今、深く分裂している。右と左、人種、都市と地方。彼ほど最適で国が求める大統領候補者はいない」
 「私は経験からも知っている」。バイデンも重要な場面で失った家族の話をする。大きな事件の時、新型コロナウイルスの被害拡大防止を訴える時…。
 「共感する力は今求められるとても強力な武器だ」と冒頭のケイトは語る。遅れてきた挑戦者は、異端の現職に挑む。(敬称略、ワシントン・金杉貴雄)
× × ×
 11月の米大統領選で政権奪回を目指す野党民主党候補に指名されるバイデン前副大統領の戦いを追う。
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