さらば日本型鉄道ゲージ 樺太の発展を支えて1世紀 ロシア仕様に変更

2020年8月19日 13時50分

1961年、サハリン南部で軌間1067ミリの線路を走る日本製の気動車A1=ロシア通信

 日本の統治時代からロシア・サハリン(樺太)の発展を支えてきた日本型の鉄道ゲージ(軌間=左右のレールの間隔)が、1世紀の歴史に幕を下ろす。輸送力拡大を目的に、軌間をこれまでの1067ミリからロシア本土と同じ1520ミリに変更する改軌工事が今月中にも完了する。終戦から75年、鉄路に残った日本の痕跡は消えゆく定めだ。(モスクワ・小柳悠志)

◆日露戦争後に敷設、難工事も

 ソ連崩壊が迫る1990年、名古屋市の交通ライター、徳田耕一さん(67)は日本の鉄道視察団の一員としてサハリンを訪れた。ソ連の開放政策で、島は外国人を歓迎するムードにあふれていた。
 南部ユジノサハリンスク(旧豊原)には蒸気機関車(SL)のD51、ロータリー式ラッセル車など日本製車両がずらり。夜行列車が出るホームのにぎわいは昭和30年代の日本の国鉄の情景を思わせた。徳田さんは「半世紀前の日本にタイムスリップしたようで感激した」と懐かしむ。
 サハリンで日本が鉄道建設を始めたのは20世紀初頭。日露戦争での勝利でロシアから島の南半分の割譲を受け、初めは軌間600ミリ、次に国鉄と同じ1067ミリのレールを敷いた。山岳地帯を東西に貫く南部横断線など難工事もあり、朝鮮半島出身者らも動員。石炭や木材を運ぶための私鉄もあった。

◆第2次大戦後はソ連の管理下に

 第2次大戦で日本が敗れると、鉄道はソ連の管理下となり、残された軌間で線路は北に延びていった。ソ連はサハリンのためだけに1067ミリ規格の車両を開発するつもりはなかった。日本は戦後、車両をサハリンに輸出し、JR東日本も中古の気動車キハ58を無償で譲った。
 1990年代からサハリンでは不採算路線が廃止に。日本時代に造られた駅舎の解体も進んだ。現在、残る路線は約800キロで90年代の1000キロ余に比べて大幅に減った。
 ロシア国鉄・極東鉄道局のドミトリーさん(40)は「日本の鉄道設備はわれわれの歴史の一部。車両は博物館で保存し、廃棄することはない」と説明する。一方で「改軌は鉄道の利便性を高めるチャンス」とも。
 軌間を本土にそろえると経済効果が上がる。本土からフェリーで運んだ鉄道車両を、そのままサハリンで走らせることができる。旅客列車の最高時速は120キロにスピードアップ。古い軌間は残すところ8キロだけで、サハリン州によると8月中に変更が完了する。

改軌に合わせて導入したロシア製の新型車両=サハリン州提供(6月撮影)

◆「改軌」で新型車も導入

 改軌に合わせ、エアコンやバリアフリーのトイレを備えたロシア製の新型気動車も導入済み。新型コロナウイルス流行下にもかかわらず、鉄道利用者数が増えているという。
 サハリンの鉄道歴史博物館のアンドレイさん(57)は「日本の車両を懐かしむ人もいるかもしれないが、乗り物で大切なのは便利さと快適さだ」と話す。
 ソ連の独裁者スターリン以来、本土とサハリンをトンネルや橋で直結する大構想もしばしば持ち上がるが、費用対効果の面で実現は疑問視されている。

 サハリン(樺太) 古くからアイヌ民族やギリヤーク人が居住。19世紀から日本人やロシア人の入植が進んだ。日本は日露戦争で南樺太を獲得、サンフランシスコ講和条約(1951年調印)で領有権を放棄した。第2次世界大戦の終戦前は約40万人が居住していたが、45年8月にソ連軍が南樺太に侵入、占拠した。日本統治時代の主な産業は漁業、林業、製紙業、炭鉱業。

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