予測不能な世界を生きるために 連載を終えて 平野啓一郎

2020年8月19日 09時21分
 未来の予測不可能性が高まっている。
 テクノロジーの進歩は、その飛躍の仕方もスピードも常に私たちの想像を超えていて、ほんの十年前でさえ、隔世の感がある。
 自然災害やパンデミックは、専門家がどれほど警鐘を鳴らしても、なかなか世間一般の認知には至らない。尤(もっと)も、世界中がロックダウンに追い込まれた今回のような感染症の流行は、当の専門家でさえ想定外だったようだが。
 他方で、日本の少子高齢化や地球の温暖化は、確実に起きる未来であるにも拘(かか)わらず、その対策は遅々として進まない。
 何より、そうした広義の環境の変化だけでなく、その世界を生きる私たちの「心」の変化こそ、大きな問題である。私たちは一体、どんな風に物事を感じ、考える生き物になっていくのか。私たちの社会は、果たして、良い方向に進んでゆくことが出来るのだろうか。
 近未来を舞台とするのは、『ドーン』以来だったが、アメリカ大統領選と有人火星探査とを組み合わせた壮大な世界観を、三人称多元視点で描いたそれとは違って、今回、連載した『本心』は、一人の青年の内的独白を通し、死別した母との関係が語られる、私の小説としては、比較的、小さな物語だった。
 しかし、仮想現実を物理的空間と同様に作中に取り込み、「死の一瞬前」という極点から宇宙の巨大な生成に至るまで時空間を広げたので、従来の一人称体の小説とは比較にならない規模となった。これは、小説そのものの変化であるのと同時に、私たち自身の変化の表現である。
 私たちの生は、写真や動画といったあらゆる記録メディアに写し取られている。そしてそれらは、死後もしばらくの間、この世界に留(とど)まり続ける。そのうちに、本作で「ヴァーチャル・フィギュア(VF)」と呼んだような技法で、故人を保存することも可能となるであろうし、実のところ、著名なミュージシャンのホログラムによるコンサート・ツアーなどは、既に現実化している。
 それは、死にゆく人間にとって、或(ある)いは、遺(のこ)された者にとって、心の慰めになるのだろうか?
 また、本作では、今の現実の日本とは違って「安楽死」がほとんど無条件に近いかたちで認められている、という設定が導入されている。私は、オランダなど、実際に「安楽死」が合法化されている国の事例を取材しつつ、悲観的な想像力に頼ったが、それというのも、格差社会と結びついた一種の優生思想の兆候に、深刻な懸念を抱いているからである。つい最近も、悲惨なまでに思い上がった浅慮に基づく事件が、起きてしまったところだが。
 個人に、死の自己決定権があるのかどうか。これは、考えるべきことである。しかし、自由の領域が切り開かれれば、必ず、自由意思に偽装された直接・間接の強制の技術が生み出される。
 殺伐とした世界を登場人物たちが生きてゆくために、私はやはり、愛について考えたかった。新型コロナのパンデミックは、予想外の出来事だったが、連載中の私の心境にも、やはり影響を及ぼしたと思う。(ひらの・けいいちろう=小説家)
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 平野啓一郎さん・作、菅実花さん・画の小説「本心」は2019年9月6日から20年7月30日まで、本紙に連載されました。単行本は文芸春秋から刊行されます。

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