パラオと交流の担い手に ペリリュー島の戦い 遺族が高校生に思い伝える 常陸大宮

2020年8月24日 07時45分

高校生と対談する吉沢幸吉さん(右)と喜美子さん(右から2人目)=常陸大宮市役所で

 太平洋戦争の激戦地となり、県出身者を含む日本兵約一万人が戦死したパラオ・ペリリュー島。慰霊訪問などをきっかけに同国と交流を続けている常陸大宮市で二十三日、遺族らが歴史的なつながりを知り、交流の担い手になってもらおうと高校生たちに身近な命を奪った戦争への思いを伝えた。証言に耳を傾けた高校生たちは戦争を語り継ぐ思いを新たにした。(水谷エリナ)
 当時を語ったのは、ペリリュー島で叔父の吉沢勇さん=当時(24)=を亡くした喜美子さん(73)と夫の幸吉さん(76)。市内外の高校二年生九人が参加した。
 喜美子さんによると、勇さんは旧国鉄に入社し、JR西金(さいがね)駅(大子町)で働いていた。その後、旧満州(中国東北部)に渡り、南満州鉄道で働いていた時に召集され、水戸の歩兵第二連隊に入隊してペリリュー島で戦った。
 ペリリュー島では日米両軍合わせて五万人以上が戦闘に加わった。旧日本軍の戦死者一万人のうち二千三百人ほどが県出身者で、七十五人が常陸大宮市出身だった。
 喜美子さんは「叔父の尊い命を失った父や母たちの心中はいかばかりだったかと思う。子どもや孫たちには父たちのつらい思いはさせたくない」と訴えた。
 市では戦後、遺族らの慰霊訪問をきっかけにパラオとの交流が始まった。来年開催予定の東京五輪では同国のホストタウンとして事前キャンプの受け入れが決まっている。喜美子さんも、市が現地から受け入れた研修生と交流し「以前はパラオを思うのはお盆の時期だけだった。(交流を通して)パラオをより身近に感じられるようになった」と振り返った。
 幸吉さんは昨年二月、パラオを訪れ、当時の戦車や零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の残骸が残っている様子、現地の子どもらとぶんぶんごまで遊んで交流したことなどを報告した。
 喜美子さん夫妻との対談では、高校生たちが「なぜ勇さんは旧満州に行こうと思ったのか」「パラオ訪問で印象に残っている場所は」などと質問していた。
 参加した水戸啓明高校の椎名夏来さん(17)は「話を聞いてあらためて七十五年前まで戦争があったことを実感し、心が痛んだ。絆を深めてきたパラオとの関係を続けるため、聞いた話を語り継いでいけたら」と話していた。

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