「あの戦争さえなかったら」中国残留孤児、命の証言集が出版 

2020年8月24日 13時55分
 太平洋戦争後、旧満州(中国東北部)に取り残された中国残留孤児。埼玉県川越市の元短大講師藤沼敏子さん(67)が、残留孤児62人のインタビューをまとめた証言集「あの戦争さえなかったら 62人の中国残留孤児たち」(津成書院)上下巻を出版した。戦争の記憶が薄れる中、藤沼さんは「この人たちの人生をなかったことにすることは絶対にできない。若い人にも、悲劇の上に今の歴史が続いていることを知ってほしい」と話す。(中里宏)

「知らなかったことや、知るべきことが多かったことがインタビューを続けられた理由」と語る藤沼敏子さん=埼玉県川越市で

◆終戦直前から始まった悲劇、集団自決も

 終戦直前の1945年8月9日、ソ連軍の満州侵攻から悲劇が始まった。満蒙開拓団では青壮年の男性が軒並み現地召集されており、老人と女性、子どもだけの逃避行を余儀なくされた。ソ連軍や現地民の襲撃、集団自決のほか、「足手まとい」になるとして同胞の手で殺された乳幼児や高齢者も多い。何とかたどりついた収容所でも伝染病死や餓死、凍死者が相次いだ。
 証言集に登場する孤児の1人は、集団自決の様子を「途中鉄砲の弾がなくなって(略)軍刀になりました。私のお母さんは最初に軍刀で(略)2番目は弟(略)。もう1人の弟も妹2人もきられた」と語る。

◆孤児たちの過酷な人生、語り口調で

 孤児たちは目の前で肉親を失っただけでなく、中国人夫婦に引き取られたり、労働力として売られたりして、生き残った家族とも生き別れとなった。証言集では敗戦から帰国後の生活まで、孤児たちの過酷な人生が語り口調のまま記述され、貴重な歴史資料となっている。
 藤沼さんは、県国際交流センターで日本語ボランティア講座のコーディネーターをしていた94年ごろ、帰国した中国残留婦人と親しくなった。これまで全国で200人近くの残留婦人や残留孤児らにインタビューし、映像を自身のホームページ「アーカイブス 中国残留孤児・残留婦人の証言」で公開してきた。

◆国策に従って

 「小さな人」。藤沼さんは、当時困窮した農村から国策に従って満州に渡った名もない人々をそう呼ぶ。ホームページは「『小さな人』が、どう生きて、死んだのか。後世に伝えたい」との思いでつくった。また、つらい記憶を話してくれた高齢の証言者が本で読めるよう、昨年7月に残留婦人の証言集「不条理を生き貫いて 34人の中国残留婦人たち」を津成書院から出版。第2弾の孤児編は上下巻で1000ページ超の力作となった。

上下巻で1000ページを超える証言集「あの戦争さえなかったら」と昨年出版の「不条理を生き貫いて」

 当事者の声に加えて、満蒙開拓団の歴史的経緯や日本政府の残留者に対する冷淡な姿勢も解説。開拓の名の下に土地を奪われた現地の農民に恨まれていたことや、孤児に愛情を注いで育てた中国人の養親も多かったことなど、多角的な視点から全体像に迫っている。
 ただ、藤沼さんの「満蒙開拓とは何だったのか。国家と国民の関係とは」という疑問は消えない。「帰国後の孤児や二世たちが十分な国の支援を受けてこなかった」という憤りも、活動の原動力になっている。
 「言葉も分からないで帰国して、爪に火をともすような生活をして家を建てたら、それを理由に国の支援金をもらえないという孤児がいます。すべての孤児が支援金を受けられるようにするべきです」と藤沼さんは訴える。証言集は上下巻ともに2750円(税込)。

中国残留孤児 終戦時の満州は約155万人の日本人が暮らし、ソ連軍侵攻による戦死、逃避行中の病死、餓死などで約24万人が犠牲になったとされる。戦闘や引き揚げ中の混乱から多くの子どもが肉親と離別し、中国の養父母に育てられた。厚生労働省が認定する残留孤児は現在、約2800人。孤児の家族を含め約9300人が日本に永住帰国している。身元が判明していないなどの理由で、未認定で帰国できない残留孤児も少なくない。

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