<つなぐ 戦後75年>八高線多摩川鉄橋列車衝突事故75年 教訓を後世へ 初の調査報告書

2020年8月25日 06時39分

八高線衝突事故から75年となった24日、多摩川河川敷のモニュメント前を通り過ぎるサイクリング客。奥は当時と同じ鉄橋を渡る八高線の列車=昭島市で

 八高線多摩川鉄橋(昭島市)で一九四五年、旧国鉄八高線の上りと下り列車が正面衝突し、少なくとも百五人が死亡した事故から二十四日で七十五年になった。河川敷に事故列車の車輪を置いたモニュメントに、訪れる遺族の姿はなく、事故は風化が進んでいる。市教育委員会は事故の教訓を後世に伝えようと、市として初めての調査報告書を十一月に出版する。 (竹内洋一)
 事故は、終戦から九日目の早朝に起きた。終戦直後の混乱に加え、豪雨に人為的な連絡ミスが重なり、単線の鉄橋に上り下りの列車が同時に進入した。犠牲者の多くは復員兵や疎開先から地元に帰る学生らだったとされる。衝突した車両のがれきは運行再開のために多摩川に落とされ、鉄不足の中、少しずつ持ち去られたという。
 モニュメントは、中州で見つかった車輪二対を市が引き揚げ、二〇〇四年に設置した。事故から七十五年のこの日、モニュメント前で立ち止まる人はほとんどいなかった。
 世田谷区からサイクリングでよく訪れるという四十代女性は「何の車輪だろうと思って説明のプレートを読んだことがあります。なぜ正面衝突したんですかね。今なら考えられない」と鉄橋の下で日差しを避けながら語った。
 JR東日本八王子支社は二十一日、モニュメント前で慰霊式を行い、参列した下村直樹支社長(53)ら七人が死傷事故の再発防止を誓った。
 長年にわたって衝突事故を調査している昭島市教委任用職員の三村章さん(70)は、今年も二十四日にお参りした。「最近は遺族の方にお目にかかることはなくなった」と明かす。
 市教委は十一月に出版する調査報告書で、事故の経緯や原因、車輪を見つけて引き揚げる経緯を詳しくまとめる。
 三村さんは「地元の犠牲者はいないとされてきたが、今回の調査で地元の小学校出身者がいたことが判明した。これまで市がまとめた本がなかった。出版で悲惨な事故を後世に伝えたい」と強調している。

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