<つなぐ 戦後75年>クロマツに残る傷痕 市川の市民団体「戦争遺跡に」

2020年8月27日 07時32分

新田春日神社のクロマツに残る、松やに採取の傷痕=いずれも市川市で

 「市川市の木」に指定され、市民に親しまれているクロマツ。幹の多くに第二次大戦末期、航空機の燃料に充てるため、松やにを採取した傷痕が今も残っている。この戦争の記憶を後世に伝えようと、市民団体「市川緑の市民フォーラム」が二十三日、会員らによるフォーラムを開催。今後本格的な調査を行うとともに、戦争遺跡や市の史跡などへの指定を目指して活動することにした。(保母哲)
 同団体がクロマツに着目したのは、市史編さん委員で、日本民話の会元会長の米屋陽一さん(74)の提案がきっかけ。米屋さんは先ごろ発刊された「市川市史 民俗編」で、戦時中の燃料不足により松やになどを採取するため女子学生が勤労動員されたことを紹介。「松並木には今も無残な痕が残っている。(戦争を伝える)生き証人」などと記述した。
 市内の日出学園中学・高校で教諭を務めた米屋さんは六月、同団体のメンバーに連絡し、「市民に広く知ってもらう活動をすべきでは」とも説いた。そこで団体の会員有志が七〜八月、市内のクロマツで痕跡調査をし、神社や寺院、住宅地などに多数が現存していることが改めて分かった。
 当時は、市内各地に群生していたクロマツの皮を剥いで幹に溝を刻み、にじみ出てきた松やにを容器で集めていた。痕跡調査とともに、地元の高齢者から聞き取りも行った。

「クロマツの傷痕は戦争の生き証人」と語る米屋陽一さん

 二十三日のフォーラムでは米屋さんが講演。マツは古くから神聖な木、長寿を象徴する木として親しまれてきたことなどを説明した。京成線からJR総武線一帯の砂地の土地「市川砂州」に群生していたクロマツは、当時の海岸の美しい風景であり、日本人の郷愁を誘う景観であることや、市内では「松丸」の名字が多いことも挙げた。
 また、市川緑の市民フォーラム運営委員の高柳俊暢(としのぶ)さん(75)も講演し、痕跡調査の概要を出席した約三十人に解説した。大戦末期、松やになどを精製する国内の工場が米軍機の空襲で破壊されたにもかかわらず、政府はマツの根から採取する「松根油(しょうこんゆ)」を含めた採取の続行を指示していた資料も示した。
 「採取しても無駄だった。しかし、政府からすれば、採取をやめることは戦争に負けることを意味するから、やめる訳にはいかなかった」。女子学生を含め、多くの市民を動員した松やに採取は「戦争の不条理」を伝えていると、高柳さんは話した。
 こうした報告を受け、出席者は今後、市川砂州一帯にあるクロマツで松やにの採取跡を本格調査し、報告書を作成する方針を決定。市の史跡や文化財などへの指定を、市長や市教育長に働き掛けることを申し合わせた。

地蔵山墓地に群生するクロマツにも傷痕が残っている

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