謙虚さ持ち続けた名手 豊竹嶋太夫さんを悼む

2020年8月28日 07時52分

2016年1月に国立文楽劇場に出演した際の豊竹嶋太夫さん=大阪市で

 美声家だった。豊竹嶋太夫(とよたけしまたゆう)さんは歴史劇としての時代物より庶民のドラマである世話物が本領で、「冥途(めいど)の飛脚」の梅川や「心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)」の小春、おさんなど、近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)の心中物で哀れな女心を切々と訴えて観客を酔わせた。時代物でも重厚な三段目ではなく、華やかな四段目が持ち場で、「本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)」の「十種香(じしゅこう)」では、恋に大胆な八重垣姫を流麗に語って魅了した。
 中でも、初恋に身を焦がす田舎娘が、一途(いちず)に男を追った挙句(あげく)に政争の犠牲となる「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」のお三輪は、熱情と悲哀とを活写して圧巻。近年は少なくなった艶物語りの名手として、私たちの記憶と、文楽の歴史に確固たる名前を刻んだ。
 義太夫節を趣味としてたしなむ人が多かった時代に生まれ、子どものころから親しんで育った。十五歳でプロの技に感銘を受けて入門。内弟子生活を送った最後の世代で、太夫だけでなく三味線弾きの名人たちにも厳しい指導を受けている。  
 退座していた時期もあったが、復帰したのは義太夫節の魅力が忘れられなかったからだろう。
 豪快な芸風の十代目豊竹若太夫(わかたゆう)、華麗な描写の三代目竹本春子太夫(たけもとはるこだゆう)、緻密な表現の四代目竹本越路太夫(こしじだゆう)と個性の異なる三人の師匠の薫陶の下で、芸の幅を広げていった。一九九四年、太夫の最高位である「切場(きりば)語り」に、二〇一五年には人間国宝に選ばれている。
 無類の稽古好きで、多くの門弟や後輩を熱心に教え、周りから慕われた。一六年二月、惜しまれて舞台を降りたが、同年一月の大阪での引退公演では派手な披露はせず、お弟子さんによるあいさつのみで、最後に、太夫と三味線弾きの定位置である回り舞台に嶋太夫さん一人が座り、深々と頭を下げたまま舞台が回転し、舞台裏に去った。控えめなお人柄の嶋太夫さんらしい演出で、深く印象に残った。
 何度かお話を聞かせていただいたが、いつも丁寧な対応をしてくださった。優しい顔がよみがえる。常に口にされたのは義太夫節の奥深さ。「多種多様な登場人物を描き分けるためには、語り手自身がどれだけの感性を持ち、どのような性格の人間かが問われる。芸は人なり、です」。謙虚さを持ち続けた太夫人生だった。
 これからも、嶋太夫さんの教えを受けた後進の方たちが、義太夫節の、文楽の、深遠な味わいを末永く伝えていってくださるに違いない。
 (大阪樟蔭女子大教授・森西真弓)
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 豊竹嶋太夫さんは二十日死去、八十八歳。
<もりにし・まゆみ> 1955年、京都市生まれ。雑誌「上方芸能」編集長などを経て現職。専門は日本芸能史。

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