内海桂子さん97歳で死去 女性漫才師の第一人者、戦後のお笑い界の礎つくる

2020年8月28日 10時51分

2017年4月、けがからの復帰舞台で、都々逸を披露した内海桂子さん=東京・浅草で

 漫才コンビ「内海桂子・好江」で人気を集め、女性漫才師の第一人者として活躍した漫才協会名誉会長の内海うつみけい(本名安藤あんどうよし)さんが22日午後11時39分、多臓器不全のため東京都内の病院で死去した。97歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で行った。
 千葉・銚子で生まれ東京・浅草で育ち、1938年に漫才の初舞台。50年に故内海よしさんと漫才コンビ「内海桂子・好江」を結成、三味線を肩に掛け、時事ネタを取り入れたテンポのある漫才で人気を集めた。
 97年に好江さんが死去した後も、漫談やテレビのコメンテーターとして活動。江戸っ子らしい、歯切れのいい語り口、芸風を貫いた。98年に漫才協団の会長に就き、2005年に改称した漫才協会の初代会長となり07年まで務めた。弟子の「ナイツ」をはじめ、若手漫才師の育成に尽力した。
 漫才コンビとして初の芸術選奨文部大臣賞を受賞。89年に紫綬褒章、95年に勲四等宝冠章を受けた。
 ドラマやバラエティー番組でも親しまれ、晩年はツイッターでの率直な発言が若者たちに支持された。今年1月まで舞台に上がっていたが、その後体調を崩し、入院していた。
(共同)

内海桂子さん(左)と「ナイツ」の塙宣之さん(中)と土屋伸之さん=2018年11月、東京都台東区の浅草公会堂で(共同)

◆舞台にこだわり、後進の指導も Twitter発信でも人気集める

 97歳で亡くなった内海桂子さんは、戦後日本のお笑い界の礎をつくった最重鎮でありながら、現役漫才師として舞台に立つことにこだわり続けた。晩年も東京・浅草の演芸場で満員のお客を前に、「100まで生きてやる」と都々逸をしゃがれ声で粋に歌っていた姿が脳裏によみがえる。
 時に辛口だが情にもろい―。多くの人が思い浮かべる昔かたぎの芸人像を地で行く人だった。16歳で漫才の初舞台を踏んだ桂子さんが脚光を浴びたのは戦後、14歳下の内海好江さんとコンビを組んでからだった。当初はキャリアの差もあり、叱ることも多かったそうだが、2015年に話を伺った際には「好江さんがいなかったら私もなかった。彼女以上の漫才の相方はいなかった」としみじみと感謝の言葉を口にしていた。
 好江さんが1997年にがんで亡くなった後も舞台に1人で立ちながら、後進の指導に当たった。弟子のコンビ「ナイツ」については「まだだね」と言いながらも「頑張っているよ」と温かく見守っていた。
 ツイッターを始めたのは10年。身の回りの出来事やテレビを見て感じて話したことを2回り年下の夫がまとめるスタイルで、「含蓄がある」と幅広い世代の人気を集め、フォロワー数は49万に上った。「長く生きてきたから考え方も言葉も(若い人とは)ちょっと違うみたい」と人気の理由を自己分析していたが、日常をけれん味のない言葉で切り取るさまは、舞台上の話芸と通じるものがあった。平和への思いを込め、戦争体験をつぶやくことも多かった。
 17年には「95年も生きてくると人様が経験できない世界を見ることが出きた。何があっても休めないという足かせを課す勇気を持って目をつむる瞬間まで頑張りたい」とツイートを投稿。関東大震災も東京大空襲もくぐり抜け、芸能界の第1線であり続けた桂子さんはまさに大往生だったといえるだろう。 (共同・関口康雄)

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