ブルシット・ジョブ デヴィッド・グレーバー著

2020年8月30日 07時00分

◆社会の病巣を切開する言葉
[評]平川克美(評論家)

 テクノロジーの進歩は、労働者を非人間的で割の合わない仕事から解放し、より創造的な仕事に向かわせるはずだった。余った時間を有意義なことに使えるような社会を実現するはずだった。だが、実際にはそうはなっていない。
 テクノロジーはよりいっそう働かせるための方策を考案するために用いられ、ペーパーワークや管理業務が増大した。保険や金融商品などの新規契約を促すコールセンター業務。購買者の需要を喚起する広告作成業務。節税のための会計業務。効率化を謳(うた)い文句にする経営コンサルタント。こうした仕事の周囲には意味のない労働が増殖し続けている。たとえば、業務を遅滞させるためだけに必要な請願書類の束や、ネット上の、読まれないために小さな文字で書かれた契約解除条項など。
 グレーバーは「被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態」に「クソどうでもいい仕事」(ブルシット・ジョブ)という名前を与えた。有償のブルシット・ジョブが増殖する一方で、社会にとって必要な、医療、介護、製造の現場労働は、非正規化し、低賃金化している。
 戦略、パフォーマンス目標、監査、評価といった経営管理主義イデオロギーがブルシット・ジョブを生み出している。では、こうしたイデオロギーはどこから出てきたのか。その答えは意外なところにある。労働は神聖であり、それ自体が価値であるという労働観の中に、ブルシット・ジョブの源泉がある。
 著者が述べているように、本書の狙いは、政策提言にあるのではなく、ほとんどのひとが、その存在にすら気づいていなかった、現代社会の内部に複雑に構造化された価値観の倒錯を明らかにすることにある。読者は、ブルシット・ジョブというたった一つの言葉が、現代社会の問題点をその最深部で捉えていることに、あらためて気づくことになるだろう。
(酒井隆史、芳賀達彦、森田和樹訳、岩波書店・4070円)
1961年生まれ。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授。著書『アナーキスト人類学のための断章』など。

◆もう1冊 

『岐路の前にいる君たちに〜鷲田清一式辞集』(朝日出版社)。見通せない社会の下でさえ、まだ捨てたものではないと思わせる珠玉の贈る言葉。

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