「負の歴史に向き合って」 川崎にもあった「朝鮮人虐殺」の教訓 あす関東大震災から97年

2020年8月31日 07時08分

朝鮮の人々を保護するため、旧田島町の神社境内に設けられた小屋=「大正12年9月1日大震災記念写真帳」より(川崎市立中原図書館所蔵)

 関東大震災では、デマを信じた人々が多くの朝鮮人や中国人を殺害した。東京と横浜に挟まれた川崎市内も惨劇と無縁ではない。憎悪をあおるヘイトスピーチも広がる今、加害者にならないために、歴史から何を学べばいいのか。防災の日を前に、九十七年前に川崎で起こった「事件」から考える。 (中山洋子)
 川崎市内の実態は、市民グループが二〇一二年度に調査している。横浜や東京に比べて調査が少なく、地域で知られていないことから、元市職員の山田貴夫さん(71)と仲間たちが「記録に残したい」と着手。一年がかりで新聞記事や公文書などを集めて分析、冊子にまとめた。
 当時の新聞記事によると、市内では、現在の川崎競馬場の場所にあった紡績工場で、自警団に朝鮮人三人が殺害され、一人が重傷を負ったほか、海岸で朝鮮人一人が自警団に殺害されていた。朝鮮人に間違われて襲われた日本人の記事もあった。
 一方、朝鮮人労働者を雇い、工員を派遣していた親方が暴徒から朝鮮人たちをかくまったり、旧田島町の助役が新田神社(川崎区渡田)に小屋を設け、約百八十人の朝鮮人を保護し、自警団が押しかけても守った記録もあった。
 旧中原村(中原区北部)では、警察から「朝鮮人暴動に備えて出動せよ」と言われた青年団員の日記なども残っていた。
 東京や横浜と比べると犠牲者が少ない理由について、山田さんは「当時の川崎はまだまだ人口の少ない田舎。『朝鮮人が放火した』というデマでパニック状態になった東京や横浜と比べ、火災が極めて少なかったことも影響している」とみる。
 加えて、山田さんは「日ごろから朝鮮人と付き合いがあった人たちは、簡単にデマを信じることなく、加害者にもならずにすんだ。犯罪をあおるヘイトスピーチと対峙(たいじ)していくヒントがある」と指摘する。三年後の関東大震災百年に向け、負の側面も含めて地域で歴史の共有を目指す。
 専修大の田中正敬教授(朝鮮近代史)も「過去と現在はつながっている」と警鐘を鳴らす。
 関東大震災では軍や警察が虐殺やデマの流布に関与していた。「今も、朝鮮人犠牲者追悼式に追悼文を送るのを止めた小池百合子都知事のような振る舞いが、排外主義的な言動を後押ししている。熊本地震や西日本豪雨など近年の災害時も、SNSなどで流言が飛び交っている。政治や行政はヘイト行為を勢いづかせないよう歴史に真摯(しんし)に向き合うべきだ」と話した。
<関東大震災> 1923(大正12)年9月1日に発生。政府の中央防災会議の報告書(2009年)によると、大震災の死者・行方不明者約10万5000人。このうち流言飛語で虐殺された朝鮮人らの犠牲は推計で「1〜数%」としている。

関東大震災当時、朝鮮半島の人々を保護する小屋が設けられた新田神社=川崎区で


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