滞在中に遺骨11柱を収集…どんな最期だったのだろうか<遺骨は語る・中>

2020年9月1日 13時50分

南海岸に近い壕。さく裂した砲弾の破片でえぐられた無数の跡が残る=硫黄島で

 硫黄島の遺骨収集の参加者は、父親が戦死した遺族が多かったが、高齢化により減少傾向にある。今回は硫黄島協会に所属する島根県の男性(82)ら2人が加わる予定だったが、新型コロナウイルス対策で、PCR検査で陰性になった首都圏在住者だけが参加した。
 滞在中は「3密」を避けながらも、食住接近の合宿だ。メンバーには日本青年遺骨収集団から派遣された大学生の男女2人もいるが、多くは60代と70代。医療少年院で少年たちの相談相手をしている都内の馬場正一さん(64)は、遺族ではないが通算10回以上参加している。「本土の盾になれと命じられて玉砕した方々のご遺骨がそのままになっている。平和を享受している日本人として当然のこと」と思いを話す。
 遺骨収集は土を掘って骨を探すだけではない。土に骨片がないか、ステンレスのふるいにかける。紛らわしいサンゴの小枝が混じっているが、慣れてくると、遺骨は表面がやや赤く、内部が海綿状になっているのが分かる。刷毛を使って丁寧に遺骨から土を落とす「洗骨」もする。
 見つけた遺骨の中に、割れた頭蓋骨とあごの骨もあった。あごの奥には金歯が2本残り、1本はかぶせた金を丸い額縁状にくりぬいてある。当時としてはおしゃれで高価だったようだ。故郷では誰が帰りを待っていただろう。どんな最期だったのだろうか。
 近くで別人の遺骨も見つかった。周囲には、火薬がはみ出した銃弾や赤さびで膨らんだ手りゅう弾、さらには銃剣も出てきた。遺骨が武器に守られているようだった。
 滞在中に見つかった遺骨は11柱。白い納骨袋に入れて宿舎の仮安置室に運ばれた。大きな日の丸が掲げられ、水やたばこなどが供えられている。最終日には遺骨を白い木箱に移し、近くの厚生労働省の建物に移した。胸に抱いて歩いた時間が長く感じられた。
 遺骨は年度末にまとめて「帰還」するが、身元が判明しなければ千鳥ケ淵戦没者墓苑に納骨される。厚労省によると、DNA鑑定を導入した2003年以降、遺族に戻った硫黄島の遺骨はわずか2柱だ。

 遺骨のDNA鑑定 厚労省のDNA鑑定は沖縄を除き、名前のある遺品や埋葬記録がある遺骨に限定していた。今年から硫黄島とタラワ環礁は、遺品がなくとも鑑定するよう要件を緩和。タラワ環礁ではDNA鑑定のみで初めて遺骨の身元が確認された。

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