硫黄島の地下壕、地熱70度の過酷な作業<遺骨は語る・下>

2020年9月2日 13時50分
緑のジャングルとイソヒヨドリ。正面は摺鉢山と米軍が上陸した南海岸=硫黄島で

緑のジャングルとイソヒヨドリ。正面は摺鉢山と米軍が上陸した南海岸=硫黄島で

  • 緑のジャングルとイソヒヨドリ。正面は摺鉢山と米軍が上陸した南海岸=硫黄島で
 硫黄島の朝、イソヒヨドリのかん高い鳴き声で目を覚ますと、宿舎からうっすらと標高170メートルの摺鉢山すりばちやまが見える。硫黄島の戦いで日本軍が拠点とした山は、南側が大きく崩れている。数十万発ともいわれる米軍の艦砲射撃の跡だ。手前のジャングルには米軍が戦後に空中からまいたというギンネムの低木が生い茂る。
 戦後75年がたった今も、戦死した日本兵の半数にあたる約1万人の遺骨が残されている。ここは日本なのに、なぜ―。そんな疑問が遺骨収集に参加した動機の一つだった。
 滞在中、島の北側の地下ごうに入った。奥が地熱で焦げており、途中で急激に温度が上がり息苦しくなる。近くの壕では何人かが強い毒を持つアカカミアリに刺され、作業を断念した。オオムカデもはい出てきた。60代以上が大半の参加者にとって作業は過酷だ。
 多くの遺骨が眠る地下壕は17キロに及び、作業の前提として入り口などの特定が必要だ。島内の地形を熟知した建設会社の作業員が重機で探す。米軍資料も参考にするが、砲撃で地形が変わり、火山活動による島の隆起もあるため、簡単には見つからない。
 滑走路やその周辺では、防衛省などが地中探査レーダーを使い、空洞があればボーリング調査を行う。数年前には地下15メートルに地下壕が見つかった。70度ある地熱を送風機で冷まし、3年がかりで遺骨4柱を発見。今も調査は続くが、滑走路は長時間は閉鎖できない。防衛機能以外に、父島などからヘリで運んだ急病人を本土に輸送する役割もある。国際協定で民間機の緊急避難滑走路にもなっている。
 硫黄島を含めた現在の遺骨収集は、2016年成立の「戦没者遺骨収集推進法」に基づく。戦後80年となる25年3月までを「集中実施期間」とし、その後の方針は未定だ。
 「精根を込め戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき」「慰霊地は今安らかに水をたたふ如何ばかり君ら水をりけむ」。この和歌は1994年2月の慰霊訪問で、当時の天皇・皇后両陛下がそれぞれ詠まれたものだ。胸に響く鎮魂の歌を聞いたであろう1万柱の遺骨は、今もその多くが地中に眠っている。(編集委員・椎谷哲夫)

 戦没者の遺骨 海外や沖縄、硫黄島など本土以外の戦没者は約240万人。復員兵が持ち帰った遺骨や戦後の遺骨収集で約128万柱が帰った。残る約112万柱のうち海中などを除き約59万柱が収集可能とされるが、遺族の高齢化も進み、「時間との闘い」を強いられている。

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