差別、偏見が生んだ悲劇 関東大震災 朝鮮人虐殺事件 見沼区で姜大興さん追悼会

2020年9月5日 07時33分

姜さんの墓(上部)を守り続けてきた高橋隆亮さん。下の追悼碑はサッカー日韓W杯のころ、当時の住職が日韓親善を願い整備したという=さいたま市見沼区の常泉寺で

 1923(大正12)年9月1日の関東大震災後に起きた朝鮮人の虐殺事件で犠牲となった姜大興(カンデフン)さん=当時(24)=をしのぶ追悼会が、命日の4日、墓のあるさいたま市見沼区の常泉寺であった。主催する日朝協会県連合会のメンバーで、事件当時、祖父が現場となった地域の区長だった高橋隆亮(たかすけ)さん(76)は「歴史は埋もれつつあるが、地域の人にももっと知ってもらい、事実を後世に伝えたい」と話す。(前田朋子)
 震災後、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」など根拠のないうわさが広がり、関東一円で多くの人が殺害された。県内では約二百四十人が犠牲になったとされる。
 同会などが裁判記録や関係者の証言をまとめ、七四年に出版した「かくされていた歴史」によると、姜さんは二三年九月四日未明、片柳村の染谷地区(現見沼区)で自警団に日本刀ややりで刺されて殺害された。墓は同年中に地区の人たちが建てたとみられている。
 元大宮市議の高橋さんは、事件当時に染谷区長だった高橋吉三郎さんの孫。吉三郎さんは現場にいなかったが、旧制中学四年生だった父の武男さん(故人)は事件を目撃した。「かくされていた歴史」に「村の者総出でやっちゃった」と証言していて、高橋さんにも自責の念を語っていたという。高橋さんは「祖父らには『必ずお墓に線香を上げるように』と言われ育てられた」と話し、同会メンバーとして墓を守り続けてきた。
 墓は正面に「朝鮮人姜大興墓」と刻まれ、側面には亡くなった日付や戒名とともに「関東地方大震災ノ節当字ニ於テ死亡」とある。同会の関原正裕会長(67)によると、戦前に建立された犠牲者を悼む墓や碑は関東に十基ほどあるが、ほとんどに個人名がなかったり、差別的な「鮮人」の表現が使われていて、亡くなった経緯の記載もないという。
 姜さんの墓がまれな形で残されたことについて、高橋さんは吉三郎さんから詳細を聞いていないが、関原さんは「罪のない人を殺してしまい、地区の責任者として悼む気持ちが強かったのでは」と推し量る。
 震災後の県内での虐殺は、ほとんどが現在の熊谷市や本庄市など県北部で起きた。姜さんの死はこの墓により語り継がれ、会は南部でも被害があったことを後世に伝えようと、二〇〇七年から追悼会を開いている。
 元県立高校教諭として歴史教育に携わり、退職後は大学院で研究を続ける関原さんは、一連の虐殺は「植民地支配を背景に形成された差別や偏見が生んだ事件」と指摘。流言飛語は当局が流した可能性もあるとして、「普段からいろいろな情報を取り入れ、『本当かな』と立ち止まって自分で判断しなければ」と事件の教訓を語った。

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