野外舞台が輝く夜 旅芸人一座がやってきた

2020年9月6日 07時10分

旅芸人一座の野外舞台での公演風景。子どもたちが最前列で、役者たちの熱演に見入っている=1957年9月(撮影・菅原廉緒氏)

 大事なことを忘れていた。季節は正確には思いだせないが春か秋だった。あたりの草木がいい色になってくる頃だったからあれはやっぱり春だったんだろうなあ。
 むかし長屋があったところが古くなって腐ってたわみ、隣に住んでいた地主がそれらの廃棄物を始末してそのまま空き地になった。周辺は生け垣で囲まれていたので子供らの贅沢(ぜいたく)な遊び場になっていた。
 そこに季節ごとに巡回芝居がやってきた。
 トラックいっぱいに積み込まれた丸太や板材を、地下足袋を履いたおっさんたちが数人がかりで威勢よくおろして、すぐに組み立てはじめる。全国で組み立てと解体を繰り返しているからだろう。その仕事の早いこと。日が暮れる前にはあらかた懐かしい舞台ができあがっていた。
 舞台の下は芝居の大道具、小道具。それにたくさんのゴザ。みんな見慣れたものだった。関係者は男女いれて十人ぐらいいた。その当時はトラックの荷台にひとかたまりの人間が乗ってきても警察は何も言わなかった。
 おっさんたちは広場の地主と、あれはたぶん町の有力者なんかに挨拶(あいさつ)に行っていたのだろうなあ。もらったらしい一升瓶をぶらさげて帰っている。この旅芸人の一座がやってくるのは嬉(うれ)しいのであたりが暗くなるくらいまでぼくたちは見物していた。舞台の後ろではおばさんたちが女の仕事をしていた。
 「おーい。君たち。明日四時からはじまるからなあ。国定忠治だからなあ。近所の人にでっかい声でそう伝えるんだぞう」。たいていそんなことを言われてぼくたちは帰された。
 翌日は学校がおわるといつもの遊び仲間と三時すぎにはもうそこにやってきていた。
 おっさんもおばさんも昨日とはまったく違う人みたいになっていて、鬘(かつら)をかぶっている人やこれからの人などがいてワサワサ忙しそうだった。いま思うに彼らはその野外舞台の内側に寝ていたのだろう。
 大家のところから電線をひいてきて要所要所に電球をつけると、広場の一方に目も覚めるような大きくてきれいな祭り舞台のようなのが浮かびあがった。舞台の周囲には大漁旗がかざられ、内側には風呂屋でみるような三保の松原の絵が一面にはられ、ぼくたちのほかにも早くも集まっている子供らが三十人ぐらいはしゃいで走り回っていた。でも開演時間三十分ぐらい前になると子供も大人もいったん外に出される。大人も子供も入場料を払わないと芝居が見られないのだ。
 いくらだったか忘れた。大人二十円、子供十円ぐらいだったろうか。
 開演のレコードがなると、いままでどこにいたのだろうか、と不思議に思うくらいの美男美女が現れて、まあ言ってみれば前口上が語られる。観客は百人ぐらいになっていただろうか。
 芝居は子供でもわかる面白さで必ずすぐに刀の切り合いがはじまった。ぼくたちにとっては至福の時間だった。(作家)

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