中曽根元首相死去「とうとうこの時が…残念」 高崎・青雲塾会館、対応に追われ

2019年11月30日 02時00分

祭壇の準備をする関係者=高崎市の青雲塾会館で

 高崎市生まれの中曽根康弘元首相が29日に亡くなった。ゆかりの人たちや地元の人たちは元首相の功績や人柄をしのび、死を悼んだ。
 高崎市末広町の青雲塾会館では支持者からの問い合わせやお悔やみの言葉を伝える電話が鳴りやまず、青雲塾事務局の職員や秘書らが対応に追われた。会館内に弔問の記帳所と祭壇が設けられ、支持者らが弔問記帳に訪れていた。
 青雲塾の新井敏則事務局長(65)は「とうとうこの時が来てしまったか、という思い。高齢なので最近は体調によってハラハラしたり、ほっとしたりという繰り返しだった。残念です」と肩を落とした。
 事務局によると、中曽根元首相は例年七月下旬ごろから一カ月ほど長野県軽井沢町に滞在するのを習慣としていたが、今年は八月に訪れたものの体調を崩して都内の病院に入院した。新井さんは「体調が戻ったということを聞いていたのですが…。大往生と思います」。
 政治を志した思いを若者に託して創設した青雲塾・中曽根康弘賞論文。読書家の中曽根元首相もよく目を通し、最優秀賞の論文を読むのを楽しみにしていたという。高齢のため、高崎市で行われる論文表彰式の出席は一昨年の十一月が最後となったが「政治のことが頭から離れたことはなかったと思う」と故人をしのんだ。
 元県議の浜名敏白(としあき)さん(91)は「終戦の頃、『これからの日本をつくろう』と引っ張ってくれた。自分も一生懸命、後を追い掛けたのを思い出す。悲しみのひと言です」と振り返った。
 秘書を二十年務めた元高崎市議田中英彰さん(72)は「広い世界観と信念を持っていた。政治を志す人の鑑(かがみ)だ。今の政治家は見習ってほしい」と話していた。
 青雲塾では十二月二日までの午前九時~午後五時、同会館内に記帳台を設け、弔問記帳を受け付ける。 (石井宏昌、池田知之)

◆元秘書の岩井県議 最も影響力があった方

 中曽根元首相の秘書を1988年から10年間務めた元県議会議長の岩井均県議(55)は、90年代初めに中曽根氏が回顧録「政治と人生」を出版する前に本人の言葉を約半年間かけて口述筆記した。
 中曽根元首相の自宅で午後9時ごろから深夜まで毎日のように筆記し、中曽根一家が年末年始に宮古島へ旅行した際にも同行して筆記に当たった。
 秘書として中曽根元首相の訪中にも随行した岩井県議は「私にとって最も影響力があった方。残念でならない。偉大で、類いまれな政治家だった」と惜しんだ。
 岩井県議が秘書になったのは、高崎高時代に甲子園へ出場した際、同高の先輩である中曽根元首相が学校を訪れ、激励の色紙を選手全員に贈ってくれたのがきっかけという。
 岩井県議は「自分のモットーは『結縁 尊縁 随縁』で、縁を大事にするようにという意味の言葉。この言葉は中曽根先生が議員手帳に書いていたものをいただいた」と述懐した。 (菅原洋)

◆山本知事 実績学び未来に生かす

 中曽根元首相の訃報に触れ、山本一太知事は報道陣に「群馬県の政治の大先輩であり、大変残念に思う。戦後史の中では、名首相に数えられる方。国鉄民営化の行政改革や教育改革などさまざまな実績を残された」と振り返った。
 さらに「県民を代表して心からお悔やみを申し上げたい。中曽根元首相の実績を学び、未来の群馬県に生かしたい」と述べた。 (菅原洋)

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