フェミニズムの過去・現在・未来

2020年9月7日 07時40分
 性被害を告発する#MeToo(ミートゥー)運動をきっかけに、フェミニズムが注目されている。女性差別の撤廃と男女平等、女性の解放と自由を訴えてきたフェミニズムの過去と現在、そして未来は。

<フェミニズム> 広辞苑は「女性の社会的・政治的・法律的・性的な自己決定権を主張し、性差別からの解放と両性の平等とを目指す思想・運動」と定義。第1波は19世紀末から20世紀初頭に始まり、女性の参政権獲得などを求めた。1960年代から70年代の第2波では、より広く女性の解放を目指し、ウーマンリブ運動が起こった。近年の#KuToo(クートゥー)運動は、女性が職場でハイヒールやパンプスを履くよう強いられていることに抗議。

◆「かくあるべし」捨てる 鍼灸(しんきゅう)院れらはるせ主宰・田中美津さん

写真・松本路子

 #MeToo運動が二〇一七年ごろ盛り上がった時に感じたのは、ウーマンリブは四十五年前に展開されたMeTooだった、ということです。
 性的虐待やセクハラに女たちが個々に抗議の声を上げたMeToo。リブも「嫌な男からお尻を触られたくない」という個人的な怒りから始まりました。これって女たちに共通する怒りだったから、即運動の大義となった。しかし、集まってMeTooしてると、触られたくないと同時に、好きな男が触りたいと思うお尻が欲しいという欲望が、自分たちにあることに気がついたのです。
 大義だけならスッキリ主張できるが、大義と欲望は同じぐらい大事というところに立つと、どうしても矛盾や葛藤が生じて、「取り乱す」自分がいる。でも、それこそが「生きる」ということなんだと。
 例えば、電話が鳴ると、近くに夫がいるのに小走りに駆けて受話器を取ってしまう「私」がいる。自由とは「自分以外の何者にもなりたくない」という思いです。他者(男性)から見た好ましい女=小走りの自分を生きるということは、自分であって自分でない、言ってみれば「どこにもいない女」を生きるということ。そんな空虚な私はゴメンだと反旗を翻したのに、小走りをやめて、常に毅然(きぜん)とした女として振るまうとしたら、それもまた「どこにもいない女」を生きることになってしまう。
 何世紀にもわたる「女かく生きるべし」の抑圧は、それほど私たちの中に血肉化されている。そんな私たちが、自分以外の何者にもなりたくなくて始めたリブ運動なんだから、「女らしくしろ」の抑圧は右足で蹴っ飛ばし、「目覚めた女は毅然と生きるべし」という他人の期待やまなざしも左足で蹴っ飛ばして、右でも左でもない、真ん中を生きる。それこそが「ここに居る女」として生きることではないのか。そう私たちは考えました。
 女性解放というけれど、まず自由になるべきは私自身。最初はだれでも一人です。孤独の中で自分の問題と向き合い、その痛みと真向(まむ)かう。そしてそういう自分を言葉化するところから、「私」のフェミニズムが始まるのです。そんなフェミニズムを生きながら、「取り乱し」つつ力を合わせ、より生きやすい社会を目指したいですね。(聞き手・大森雅弥)

<たなか・みつ> 1943年、東京都生まれ。70年代に日本のウーマンリブをけん引した。著書に『この星は、私の星じゃない』『いのちの女たちへ−とり乱しウーマン・リブ論』など。

◆SNSで社会運動へ 作家・山内マリコさん

 サラリーマンだった父と専業主婦の母、兄が一人います。昭和の家族像そのものの安定した子ども時代でしたが、母はよく愚痴をこぼしていました。家事を手伝おうとしても、「これはお母さんの仕事だから」「あなたは好きなことをしなさい」。母はやりたくもないことをずっとやっているんだなと感じながら育ちました。
 当時、母の愚痴は性格から来るものと思っていたんです。その見方が変わったのは、二十代後半。結婚をリアルに考えるようになってからです。
 それまで明白な女性差別を感じたことはなく、自分が男子より劣るとも思ったことはなかった。進学でも、恋愛でも、自分の意思で動いてきました。でも、結婚となると別。料理の腕や気が利くことをアピールし、いかに自分が便利か、売り込むような形になる。みじめなもんだなぁと思いました。
 このみじめさって何なんだろう? そう考えるうちに、フェミニズムの本を読むようになりました。するとそれまでぼんやりしていた世界が、視力5・0並みにはっきり見えてきたんです。結婚によって、女性は自分の人生のハンドルを握れなくなり、助手席を割り当てられる。男性に付属する扱いになる。自分のやりたいことを我慢して、家事や子育てを押し付けられる。母の愚痴の正体はこれだったのかと、ようやく気付きました。個人的な不満と片付けられてしまうものの奥に、女に生まれたことで主体的に生きられなかった、怒りや悔いがあった。
 わたしは長いこと、母や、声を上げてきた女性たちの偉業や功績の上に、あぐらをかいていたわけです。なぜそんな大事なことを知らずにきたのかと思いますが、わたしが十代のころは、普通の読者が手に取るような本では、フェミニズムにアクセスできなかった。女性学は、アカデミックな世界にいるエリートのものだったのかもしれません。
 最近はSNS(会員制交流サイト)で個々の女性が怒りやぼやきを発信、共有することで、フェミニズムにたどりついています。#MeToo、#KuToo、そして性暴力に抗議するフラワーデモなど、社会運動にも広がっています。
 ここからさらに法律や制度を変えていければ。未来は明るいです。なにしろ伸びしろは、十分すぎるほどありますから。(聞き手・大森雅弥)

<やまうち・まりこ> 1980年、富山県生まれ。ゲストキュレーターを務めた展覧会が19日から、富山県美術館で開催される。著書『あのこは貴族』が映画化され、来年公開予定。

◆男性主導 行き詰まる 社会学者・伊藤公雄さん

 フェミニズムというと、一般的には「進んだ欧米、遅れた日本」といったイメージが強いと思います。でも、法律のレベル、女性の労働参加という点で見れば、一九七〇年前後、まさにフェミニズムが盛り上がった段階では「進んだ日本、遅れた欧米」だったのです。
 七〇年当時の働く女性の割合を見ると、経済協力開発機構(OECD)加盟国の中で、日本はフィンランドに次いで二位でした。また、戦後の法改正によって家父長制は撤廃されました。結婚や離婚も比較的簡単にでき、経済的理由による中絶も合法化されていました。
 欧米では、長く家父長制が法的に残っていました。例えば、フランスでは六五年まで、既婚女性の就業には夫の許可が必要でした。七〇年前後の欧米のフェミニズムが法改正のテーマに挙げたのは、離婚法と中絶法です。これは日本では当たり前の法的権利になっていました。
 日本の問題は、七〇年代の女性の権利擁護の動きから取り残されたことです。多くの国が男女平等の労働条件と男女の家族的責任を守るための労働時間短縮に向かった時、日本では「男性の長時間労働、女性の家事・育児負担と子育て後の非正規労働」という仕組みが確立しました。この時期の経済成長にはそれがプラスに作用しました。
 本当は、九〇年前後に少子高齢社会が見えてきた段階で、日本も男女共同参画に転換する必要がありました。しかし、七〇年代から八〇年代にかけての成功体験があったため、そこから抜け出せなかったのです。
 今回の新型コロナウイルス対策では、女性リーダーの国がうまく対応したといわれています。男性リーダーの国の多くは失敗しました。男性リーダーは、目先の経済成長ばかり考え、人間の生命や身体、思いに配慮する力、ケアの視線を欠いていたのが最大の理由だと思います。
 私は、フェミニズムの動きに呼応して、七〇年代後半から男性学・男性性研究の必要性を訴え続けてきました。人間の生活基盤をきちんと把握しようとせず、生産性と効率・利益優先の男性主導社会は行き詰まると考えたからです。持続可能な社会を目指すなら、男性主導でつくられてきた社会の仕組みをジェンダー平等の方向に転換する以外にないと思っています。
 問われているのは、今や女性ではなく、男性なのです。(聞き手・越智俊至)

<いとう・きみお> 1951年、埼玉県生まれ。京都産業大教授。京都大・大阪大名誉教授。専門は文化社会学、ジェンダー論。『女性学・男性学 ジェンダー論入門』(共著)など著書多数。


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