感染防止拠点の医学館 江戸後期の「闘い」今に伝える 弘道館で史料展示

2020年9月10日 07時17分

医学館に関する史料の展示コーナーを紹介する小圷のり子さん=水戸市の弘道館で

 世界中に感染が広がり続ける新型コロナウイルスで、感染症への関心が高まっている。歴史的には、インフルエンザやペストなど多くの感染症が流行を繰り返してきた。国内では江戸時代後期に天然痘やコレラが人々の生活を脅かし、当時、水戸藩の藩校の弘道館(水戸市)内にあった医学館が感染予防に重要な役割を果たした。弘道館で展示中の史料が感染症との闘いを今に伝えている。(水谷エリナ)
 弘道館などによると、医学館は、一八四三年に水戸藩九代藩主の徳川斉昭(〇〇〜六〇年)が医学教育の場として開設。斉昭は外国に頼らず国内で良薬を作ることが急務だとして、設立趣旨を説いたとされる。
 全国の藩校で医学館や準ずる施設をもっていたのは全体の16%程度で、弘道館の小圷のり子主任研究員(52)は「斉昭は医学・医療に高い関心を持っていた」と話す。
 水戸藩で四六年に天然痘が流行して多くの死者が出ると、医学館は翌年から毎月二回、身分にかかわらず、希望者に予防接種である種痘を実施。藩医の本間玄調(げんちょう)(〇四〜七二年)らの家でも受けられるようにし、遠方では郷医が藩に旅費や薬代を出してもらって実施した。
 五〇年には、より安全な牛痘による種痘が実施できるようになった。だが、「新しいものに対する抵抗があって、接種を嫌がる人もいた」(小圷さん)という。
 それに対し、斉昭や玄調は率先して自分の子どもに受けさせ、安全性を証明しようとしたとされる。結果的に、約一万三千人が牛痘を受けて命を救われたと伝わる。
 牛痘が普及して間もない五八年、コレラが江戸で流行した。「水戸市史」によると、長崎港に寄港したアメリカ船員から広がり、江戸では秋だけで二万数千人の死者を出し、水戸にも広がった。
 水戸藩も予防に尽力し、翌年に「うがいをする」「油物を避ける」など人々が簡単に実施できる予防法や治療法を小冊子「蕃〓病(ばんしゃびょう)の手当并治方(てあてならびになおしかた)」にまとめ、藩内に配った。
 感染症防止の拠点になった医学館だったが、開設から二十五年後の六八年、藩内抗争で焼失した。跡地には現在、市立三の丸小学校や市三の丸市民センターが立っている。
 弘道館の展示スペースには、医学館のコーナーが設けられており、斉昭が医学館の理念をまとめた「賛天堂記」の拓本や「蕃〓病の手当并治方」のほか、種痘に関する史料も見ることができる。
 小圷さんは「斉昭らが、嫌がる人にまで、種痘を受けさせた強い思いがどこからきたのだろうと思っていた。実際にコロナを経験してみて、切羽詰まった状況や見えないウイルスへの恐怖が、そうさせたのかもしれない」と思いをはせる。
 今後、医学館をクローズアップした特別展などの開催も検討している。
<弘道館> 水戸藩の9代藩主徳川斉昭が1841(天保12)年、藩士に文武の修練を積ませる藩校として開いた。医学、薬学、天文学、蘭学など多くの学問を取り入れ、国内でも屈指の規模とされる。斉昭の子どもで、徳川幕府最後の将軍の慶喜も教育を受け、67年の大政奉還後には謹慎生活を送っている。
※〓は病ダレの中に沙

医学館跡地前に立つ藩医の本間玄調の像=水戸市で


関連キーワード

PR情報

茨城の新着

記事一覧