鴎外 苦難の「みち」 土屋武之さん

2020年9月15日 07時11分
 今でこそ軽井沢へは気軽に行けるが、東側に横たわる碓氷峠は中山道時代からの難所で、信越本線においても日本の鉄道でも稀(まれ)な急勾配区間となっていた。1997年の長野新幹線開業により廃止されるまで、峠を挟む横川−軽井沢間では、特急から貨物まですべての列車にEF63形電気機関車=写真=が補助として連結され、上り坂では後押し、下り坂では先頭で踏ん張る役割を担っていた。
 明治のはじめ、政府は1885年に麓の横川まで、3年後には長野方面から軽井沢まで鉄道を通じさせたものの、残る部分の建設は難航した。そこで暫定的に両駅を結んだのが1888年開通の碓氷馬車鉄道だ。これは名前の通り、馬が車両を引く簡単な構造の鉄道である。
 当時の客車は木製のベンチに車輪をつけた程度のもので、乗り心地は最悪だったらしい。1890年に乗った森鴎外は、2時間以上も振り回され、軽井沢に着いたとたん疲れて倒れ込んでしまった様子を「みちの記」で著した。この馬車鉄道は1893年の官設鉄道開通により廃止され、わずか5年しか存在しなかった。今は記念碑が立つだけ。ただ、苦難のありさまが、鴎外や、翌年に乗った正岡子規の手で紀行文として残されたのは幸いだった。

関連キーワード

PR情報