硫黄島 あるがままに

2020年9月15日 07時10分

<1> 夜明け前。摺鉢山の上空に白い月が浮かんでいた

 碧(あお)い海に囲まれた南の島は鮮やかな緑に覆われ、朝夕は心地よい浜風が吹いていた。そして、ここが悲惨な戦場だったことなど知らない鳥たちがにぎやかに鳴いていた。遺骨収集で2週間にわたり滞在した硫黄島。その姿のいくつかを写真とともにリポートする。
 夜明けが近づくとジャングルの向こうに米軍の砲撃で南面が崩れた摺鉢山(すりばちやま)がうっすらと姿を現す<1>。摺鉢を逆さにした形に見えるためこの名が付いた。

<2>

 火山の頂が海から顔を出しているのがこの島だ。いたるところで隆起が続いており、海べりの小さな噴火口からも水蒸気が噴き出していた<2>。

<3>

 ジャングルの奥には将兵用の食事を作った「釜場(かまば)」があり、直径七十センチほどの大釜が残っていた<3>。軍属として残った島民がここで働いた。

<4>

 コンクリートで固めたトーチカからは錆(さ)びた機関砲が、今も米軍上陸の南海岸をにらんでいた<4>。射手(しゃしゅ)は砲撃を受け、むなしく倒れたのだろうか。

<5>

 観音像と「マリア観音」が日米の戦死者を弔っている<5>。異動で島を離れた海軍警備隊司令の和智恒蔵(わちつねぞう)(初代硫黄島協会長)が戦後、僧侶になって設置した。
      ◇
 8月31日から3回にわたり本紙夕刊に掲載した遺骨収集の体験記「遺骨は語る」は、東京新聞公式サイトTOKYO Webで読めます。同サイトから「遺骨は語る」で検索を。
 文と写真・椎谷哲夫
 ◆紙面へのご意見、ご要望は「t-hatsu@tokyo-np.co.jp」へ。

関連キーワード

PR情報

TOKYO発の最新ニュース

記事一覧