東京大空襲は「地獄絵」 国分寺で記憶伝える絵画・写真展

2020年9月15日 07時18分

焼夷弾が降る中を避難した体験を語る浜田さん(右)。奥の壁には大空襲被害の惨状を撮影した写真が展示された=国分寺市で

 東京大空襲の絵画・写真展「東京大空襲を忘れない」が14日、国分寺市立本多公民館で始まった。実行委員会代表の浜田嘉一(よしかず)さん(83)=国分寺市=は講演で「何人かが火の付いたまま5、6歩走って倒れ、そのまま燃え尽きた。焔魔堂の地獄絵だった」と空襲をくぐり抜けた体験を入場者に語った。(竹内洋一)
 七十五年前の三月九日深夜、日付が変わる直前だったと後に母から聞いた。東京・深川の自宅の庭に突然、焼夷弾(しょういだん)が落ちた。小学一年生だった浜田さんは、消防団員の「逃げろ!」という声に促され、母、祖母、いとこ二人と共に駆けだした。焼夷弾が降る道中、いとこ二人を見失った。母は「清澄庭園に逃げるんだよ」と二度、三度叫んだ。
 大通りで、燃えながら絶命する人たちを目の当たりにした。祖母が「次はおまえの番だよ。お題目を上げなさい。南無妙法蓮華経」と耳元でささやいた。
 清澄庭園に逃げ込むと、母の様子がおかしくなった。近くの母校が焼けるのを見たせいだ。「学校が燃える」と叫びながら池に入り、水をバケツにくんで、あたりかまわずかけ続けた。
 はぐれたいとこ二人とは再会できた。だが、別行動で逃げていた祖父、伯父は亡くなった。既に戦死していた父の実家は被災を免れた。歩いて向かう途中、道端に焼死体が無造作に積まれているのを目撃した。浜田さんは「生と死が隣り合わせだった。それが戦災の実態だ。戦争の愚かさと平和の大切さを胸に刻んでほしい」と語った。
 講演を聴いた三鷹市の助産師土屋啓子さん(34)は「体験者の生の声を聴き、とんでもない時代だったと実感した。この子にもしっかり伝えたい」と第一子を妊娠中のおなかをさすった。
 絵画・写真展では、洋画家村岡信明さん(88)が空襲の記憶を描いた原画・パネル計約二十点、警視庁カメラマンだった石川光陽さん(一九〇四〜八九年)が空襲被害を撮影した写真十四枚を展示している。
 二十日まで。浜田さんは十九日午後三時から再び講演する。詳しくは「東京大空襲を忘れない実行委員会」のホームページで。
<東京大空襲> 1945年3月10日未明、米軍B29爆撃機約300機が、東京・下町地区を焼夷弾で無差別攻撃した。10万人以上が死亡し、被災者は100万人を超えた。被災者の多くが多摩地域に避難したとされる。これと前後し、軍需工場が集中していた多摩地域も度々空襲を受けた。

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