大江戸火龍改(かりゅうあらため) 夢枕獏(ゆめまくらばく)著

2020年9月20日 07時00分

◆異界へ誘う周到な物語
[評]玉川太福(浪曲師)

 予備知識なく読んだほうが、より面白い本があると思う。本著はおそらくその類いだ。なんてことから書き始めて良いものか。初めての書評ゆえ、勘弁を。描かれるのは、中村吉右衛門丈でおなじみの「火附盗賊改(ひつけとうぞくあらため)」ではなく「化物龍類改(けぶつりゅうるいあらため)」…略称「火龍改」という江戸時代の役職。犯罪者ではなく、人外のものを狩り、鎮めるのが仕事だ。
 ここまで読むと、大ヒット中の鬼狩りアニメを連想する人もあろう。私がそうだった。だが、本著には鬼も出てこなければ、派手な太刀回りもほとんどない。主人公の遊斎…白髪の長い髪を赤い紐(ひも)で結い、異国の服の如きものをまとった三十代と見える、眸(ひとみ)の赤い男…が沈めるのは、化物である。その化物はどこから生まれるか…人間の心だ。「手鬼眼童(しゅきがんわらわ)」という話では、大店の小僧が生き霊に取りつかれる。師匠・福太郎から弟子入り早々に言われた「いいか、女は怖いぞ」という言葉を思い出した。
 「首無し幽霊」では、講談・浪曲でもおなじみの「赤穂義士伝」から、あの人が現れる。意外なオチに思わず口元が緩んだ。ここまでの本著の構成は、演芸会に置き換えて説明するなら、マクラに始まって前座話、続いて寄席のネタが二席続いたような流れである。続く一席が、トリネタだった。「桜怪談」。本書でもっともシンプルなタイトルだが、まず早々に、凄惨(せいさん)な死が描かれる。桜の木に人間が食い殺されるのだ。首だけを残して。そこまで、奇怪な物語が続きながらも、どこかで穏やかさを失っていなかった空気が、一瞬にして立ち切れる。
 化物や霊、人外が描かれる物語は、言ってみれば異世界だ。それを読者にとって「ありうる世界」に近づけるために、本書の中盤にさしかかるまで、用意周到に事件を起こさなかったのだ。そう気づいた時にはもう遅い。続々と登場する新キャラクターの妖しさに心を躍らせ、虚構と現実のはざまを見失いながら、夢中のうちに最後の一ページまでめくった。「あとがきのあとがき」で描かれる公文書の逸話は、政治家に読ませたい。
(講談社・1760円)
1951年生まれ。作家。『大江戸釣客伝』で吉川英治文学賞などを受賞。

◆もう1冊 

夢枕獏著「陰陽師(おんみょうじ)」シリーズ(文春文庫)。平安京が舞台、安倍晴明(あべのせいめい)が活躍。

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