短歌界に恩返しを 現代歌人協会の理事長に就任 栗木京子(くりき・きょうこ)さん(歌人)

2020年9月19日 13時04分
 今春、第一線の歌人がつくる団体・現代歌人協会の理事長に、栗木京子さん(65)=「塔」所属=が就任した。一月には宮中歌会始の儀で天皇陛下に招かれて歌を詠む召人(めしうど)も務めた。「短歌界のために恩返しする年になった」と立場の重さが増しているのを自覚する。
 コロナ禍で短歌界も、行事が軒並み中止に。やめる人が増えないかと心配したが、新聞歌壇や短歌大会への応募は、むしろ明らかに増えた。「伝えたい気持ちが強まっている。困難があるときに強い文芸なんでしょうね」
 このインタビューは、ビデオ会議システム「Zoom(ズーム)」で行われた。賞の選考会もオンラインに切り替わり、歌会も同様のスタイルが広がる。けれど、一座を共有するのが歌会の醍醐味(だいごみ)。「なまじ顔は見えているから、できてしまう。けどやっぱり寂しい」とこぼした。
 短歌とは、大学の勉強についていけず鬱々(うつうつ)としていた二十歳のころ出合った。学生食堂でやっていた古書市で、表紙がきれいな短歌誌が目についた。同じ年頃の作者による、自分と同じくらい暗く情けない歌が並んでいて「ここに仲間がいる」と感じた。
 <観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生>は、中学校の教科書にも採られた代表作。短歌を始めて一カ月たつかたたないかのころの歌だ。実は、大学の仲間と行った遊園地で「深刻な恋の歌でも何でもなく、口から出任せみたいに詠んだ歌」。後にアンソロジーに採られて広まった。教科書で学んだ若い人に声を掛けられてうれしい半面、詠んだ当初は全く思い入れがなく、扱いに戸惑いもあるという。
 この歌を入れ、応募用紙に「歌歴なし」と書いて勢いで応募した新人賞・角川短歌賞で次席に。このころを「文法もめちゃくちゃだけど、歌がぽんぽん無尽蔵に出てきた。今でもあの調べを取り戻さないと、と思う」と振り返る。
 結婚して約二年半歌作から離れた後、現在の「塔」に移り再開。三十代は故岡井隆さんらが集まった中部地方の歌人集団「中の会」でもまれ、力を付けた。
 四十代半ばまでは、家族や日常生活の中で揺れ動く心をうたっていた。もう一人の自分が観察しているような切り口は当初から特徴的だったが「教養のある主婦の歌」と捉えられる向きもあった。
 転機は、四十八歳で刊行した第五歌集『夏のうしろ』(二〇〇三年)。<普段着で人を殺すなバスジャックせし少年のひらひらのシャツ>のように、事件や時事問題にも題材を求めるようになった。米中枢同時テロが起こったころだ。
 歌の幅が広がり、若山牧水賞などの評価につながった一方、議論を呼んだ。歌仲間からも「いち主婦が」「目線が高くなった」と批判を受けた。もともと歌を誤読されたくなくて、作中で説明し尽くす癖がある。「言い切る方が誠実だと、勝手に思っていた」
 つらくて悩んでも、一度社会に向いた目が、戻ることはなかった。「意図をくんでもらえなくても読者の解釈を受け止めよう。分からなくても立ちすくんだままで、そう言う方が誠実なのだろう」と腹をくくった。力まず言い過ぎない短歌は、最高賞の迢空賞など三賞を受けた第六歌集『けむり水晶』(〇六年)や、前川佐美雄賞などを受賞した第八歌集『水仙の章』(一三年)に結実する。
 現代歌人協会は、登竜門といわれる現代歌人協会賞などを運営し、歌壇での役割は重い。理事長就任について水を向けると「まさか私が、と思った。仕切るのも嫌だし」と渋い顔。「臆病なんですよ」。それでも「地方の人を巻き込むのが大事と思って」引き受けた。十年ほど前に都内に居を移したが、名古屋市に生まれ、長く岐阜市で暮らした。東京に通っていた経験から「活動の場が東京に偏り、地方からほとんど参加できていない」状態が気になる。
 コロナ禍が落ち着いたら真っ先に、シンポジウムなどを地方で開こうと思案する。「被災地でやるのもいい。励ますつもりで行脚したい」 (松崎晃子)

関連キーワード

PR情報

土曜訪問の新着

記事一覧